2008年08月31日

スーパー歌舞伎〜ものづくりノート : 市川猿之助

「スーパー歌舞伎―ものづくりノート 」 市川猿之助

 「ヤマトタケル」から「新・三国志」シリーズまで、スーパー歌舞伎創出の舞台裏を記録したノート。「現代」に「歌舞伎」たり得る作品を創造する現場の熱気とともに、その生みの苦しみの一端を見るようだ。

 新しい脚本、ドラマ、舞台セット、照明、衣裳、音楽・・・どれだけ現代的な機構を利用し、現代的な要素を注ぎ込もうと、それらを見事に「歌舞伎」としてまとめ上げる。それを可能にした、理屈を超えたインスピレーション、天啓のような閃きを受け取るアンテナと、イメージを現実のものにするため、妥協を許さず、緻密に、論理的に舞台を構築していくクールな理性〜その両輪を兼ね備えた、猿之助という才能の凄さ!!!

 猿之助がスーパー歌舞伎を創り上げる中で見つけ出し、蓄積していったテクニカルな部分での記述が多い本書だが、エモーショナルな高まりが見える、第一作「ヤマトタケル」についての記述 〜 ヤマトタケルというキャラクターを得た興奮・自分の分身に出会ったかのような感激を語るくだりはジーンとくる!

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2008年08月29日

ウルトラバロック・デプログラマー 2

「ウルトラバロック・デプログラマー 2」 浅田寅ヲ・いとうせいこう

 う〜ん、待った。長いこと待った。やっと出た2巻です。

 解体屋がいよいよ動き出したぞ〜! まだウォーミングアップ段階だけど。

 寅ヲ氏の、原作を料理する腕は凄いなぁ〜。漫画で読ませる以上、言葉じゃなくて画で見せた方がいい!ってとこは、もうばっさり言葉を削って、画面で表現しきってる。もちろん言葉が必要なとこは、効果的に言葉を配して。

 原作小説からして、視覚的イメージが溢れんばかりの作品で、原作読者が脳内に描くそのヴィジュアルを漫画で満足させるって、かなり難しいことなんじゃないかと思うのに、寅ヲ氏の繰り出す映像は、原作のイメージ・スピード感を全く損なわず再現してくれる。いや、ただ原作の面白さを再現してるっていうだけじゃなくて、寅ヲ氏の個性がONされてる分、小説以上の漫画的面白さが確実にプラスされているんだよねぇ。

 多んなシーンや登場人物のキャラクターなんか、原作以上にかなり膨らましてあるんだけど、原作との違和感なく、漫画作品としての魅力はガンガン増幅されてる。

 解体屋のスプリットセルフ(分割された自己)〜戦闘者と解析者が、それぞれちゃんと個性をもったキャラクター化されてるのが嬉しい。これは原作には無かった趣向。漫画らしい、というか漫画ならではの表現・サービスだなぁ。こういう原作にはない趣向をどんどん盛り込めちゃうのが寅ヲ氏の料理の腕。感服。

 でねぇ、戦闘者のキャラクターが実にグ〜なの。やたらと装飾的な衣裳着て、顔に刺青なんか入れちゃって、黒馬を駆って意識下の戦闘最前線に赴いちゃったりするのに、OFFの時は糠床かきまぜたりしちゃうの。悲しいことがあると“むー むー”って泣いちゃうの。ちりがみで“ち〜ん”てハナかんじゃうの。語尾が「○○だもの」なの。

 あ〜 次が出るまで、また1年近く待つのか〜。あ〜。



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2008年08月28日

第六回 亀治郎の会【京鹿子娘道成寺】

【京鹿子娘道成寺】
 美しい白拍子・花子が花道すっぽんから現れる。赤い着物がとてもお似合い。可愛い。綺麗。色とりどりの水引?のようなものを放射状に散らした髪挿しが、若々しくて華やかで、“亀治郎さん、可愛いなぁ・・・”と見蕩れてしまいました。

 烏帽子をつけて能のような舞を見せる部分・・・厳かで威厳がありました。烏帽子を取ってからは、次々と衣裳を替え、持ち物を替え、華やかに艶やかに見せる娘の舞。もちろん亀治郎さんの踊りは素敵なんですが、六月に観たばかりの藤十郎さんの「娘道成寺」、あの踊りの迫力、説得力には敵わないなぁ。改めて大御所の凄みを再認識致しました。

 しかし、“亀治郎の「娘道成寺」”を印象づけたのは、白拍子・花子の“目”。美しく舞いながら、鐘にじぃっと据えられる目の物凄いこと! 妖しのオーラをむんむんと纏います。

 亀治郎の「娘道成寺」は、美しい白拍子が最後の最後に蛇の本性を現わすのではなくて、出の時からずっと妖しい化生のものの踊りだった。

 ところで、亀治郎さん、パンフレットの「ごあいさつ」で、「京鹿子娘道成寺」は最も苦手な演目の一つだが、一年に一回は自分に厳しくという自戒の意味を込めて挑戦!と仰っているのですが、東京滞在中読んでいた「スーパー歌舞伎―ものづくりノート」に猿之助さんも同じことを書かれているのを発見。自らの傲慢を戒めるため、自主公演「春秋会」で最も苦手で嫌いな「京鹿子娘道成寺」に挑戦する、と。猿之助さんは、嫌いな演目に挑戦するストレスで、肝機能の数値が危険なとこまで悪化してしまい、もう二度とやりたくないと思われたそうだが、亀治郎さんには今後も是非踊ってもらいたいなぁ、「娘道成寺」。

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2008年08月27日

第六回 亀治郎の会【俊寛】

 今回の東京観劇ツアーのメインイベント「亀治郎の会」でございます。

 「俊寛」は10年以上前に猿之助さんの地方公演で見て以来。「京鹿子娘道成寺」は今年六月に藤十郎さんのを観た他には、1,2回観たことあるかないか・・・いずれにしても記憶の彼方。なので、今回は新しい趣向や試みを取り入れての上演だと思われますが、他と比べてどこがどう、という見方はあまりできませぬ。

【俊寛】
 流罪の身の惨めさ、辛さ、そしてその暮らしに射した小さな光、成経と海女・千鳥の恋。都からの使者を乗せた赦免船が島に着いてからの喜びや嘆き。表情たっぷりにリアルな芝居で見せるのだけど、意外や、このあたりまでは私としてはクるものがなくて・・・何か冷静に見てました。

 成経は、雅やかな都からこんな世界の果てのような島に流されて、悔しくて寂しくて仕方ないところに、大自然と戯れる女の全裸を見て、頭がショートしちゃったんだなぁ・・・とか、許してもらう立場の癖に、「俺の女も船に乗せないなら、俺は都には帰らん!」とか「成経が帰らないなら、俺たちだって船には乗らないぜ!」とゴネる俊寛たちの困ったちゃんぶりはすごいなぁ・・・とか。

 それが・・・俊寛が瀬尾に斬りかかるあたりからググッと・・・。俊寛の腹の内に渦巻く遺恨、恨み悲しみ、若い者たちに託す想いが、ぶぅわ〜っと身体から噴き出して、舞台の色を変える。

 こけつまろびつ岩に這い上がり、「おーい」と呼ばうことも止め、無言で去っていく船を追う目。その迫力、声にならぬ感情を語る雄弁さに打たれました。

 それから・・・本筋とはちょっと外れたお楽しみだったんだけど・・・俊寛の後姿について。

 シュッとした背筋、ぷりっと締まったお尻、太ももの張り、腰のしなり・・・スレンダーなのに肉感的な亀治郎の肉体美が、後姿に山盛りの出血大サービス! 前から見たらやつれ果てた年寄りなのに、後姿に滴るのは中性的ですらある妖しい色気。イケナイものを見ちゃったようなドキドキ感が・・・。う〜ん、これは・・・後姿まで年寄りっぽく作りこみ損ねたのか、それとも、ただ写実に徹するだけじゃなくて、こういうアンバランスなところも歌舞伎の魅力か・・・。

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2008年08月25日

二十一世紀歌舞伎組 新・水滸伝

 ヒーロー・林冲(右近)はメンタル面に難ありでウジウジ。女傑・姫虎(笑三郎)は強くて、潔くて惚れ惚れするよな最高に格好いい女。暴れん坊の李逵(猿琉)は憎みきれない単純バカ。人肉饅頭作って売ってたとんでもない悪女・お夜叉(春猿)は、ミニスカートこそはかないが、太ももまで見せる大サービス。ナイスバディな韋駄天・戴宗(猿若)、イケメンなこそ泥・時遷(喜猿)。美しい女戦士・青華(笑也)は「私、そういうこと話し始めると・・・止まりませんよ♪」とヲタクっぷりを可愛くチラ見せ。男・王英(猿弥)は顔がイマイチでも一途さとキャラの良さで勝負。その他にも弓の名手・花英(笑三)、正義感溢れる好青年・彭キ(弘太郎)。敵役もマント翻す美形揃い。あっちを向いてもこっちを向いても美味しいキャラだらけで、オヨオヨと目移りしてしまう。(ああ、ここに段治郎さんも加わって欲しかったなぁ)

 並み居る美形キャラ、「仲間」「絆」「情熱」「正義」・・・もぉ〜、顔が真っ赤っ赤になってしまいそうなテーマ、大仰なキメ台詞、随所でキマる見得、コスプレ心をくすぐる衣裳! どれもこれもがジャンプ的! こういうの・・・嫌いじゃない♪

 暗くした舞台には、無機質な階段が左右に一つずつと、その上に橋状に渡した足場。このシンプルなセットが梁山泊を望む湖のほとりになり、砦となり、牢となる。暗闇に浮かぶ光・・・月や星や灯篭の灯りがとてもきれいでした。

 舞台の様子も、ストーリーも、芝居運びも、音楽も・・・はてさて、これは歌舞伎なのかなぁ・・・と、ふと思うけど、私の身体が感じているのは確かに「歌舞伎」を観たときに感じる興奮と快感で・・・。すると、やっぱりこれは、少なくとも私にとっては「歌舞伎」だよなぁ・・・と。

 あれだけ、くっさいテーマ、くっさい台詞、くっさいストーリーを臆面も無くやってのけて、それを格好良く見せてしまうパワー。これって一体何なんだろうか? と思う。(もしこれを、歌舞伎以外の舞台で見せられたとしたら、私は居たたまれなくなって早々に席を立ってしまうだろう。) こういう力技を可能にするものって、今の所私は、歌舞伎か、でなきゃそれこそ少年ジャンプ位しか知らない。このパワーの正体、秘密って何なのか・・・。

 白塗りメイクと凝った衣裳と研ぎ澄ました肉体で、生身を半分捨ててキャラ≒人形になってみせる歌舞伎役者(役者の生身は消えてしまうんじゃなく、キャラの上に二重写しになっていて・・・)。このあたりに私の萌えポイントがあるような気はするんだけど・・・。

 演劇嫌い(私、実は演劇は嫌いなんです。鳥肌立つほどに)の私が、何で歌舞伎は大好きなのか? この謎が解ける日は来るか?

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2008年08月24日

八月納涼大歌舞伎 第三部

【紅葉狩】
 勘太郎・・・ああ、きれいなお姫様だ。

 可愛らしい、見目麗しい、というのとは違うんだけど・・・。何て言うのか・・・気品? うん、そうだ。気品漂う佇まいがとても良い。勘太郎さんは、本当に大切にぴしりと役を作られるなぁ。この端正さが大好きだ!

 舞を見せる侍女・野菊の鶴松さん、体は小さいけど堂々たるもの。更科姫が鬼女と知らず眠りこける惟茂るを起そうと頑張る山の神。神様なのに何で人間ごときの為にそんなに一生懸命なの? 可愛い。

 終盤、正体を現した鬼女と惟茂の立ち回り〜薄暗くした舞台で二人にスポットライトを当て、時折雷光もピカピカ・・・っていう演出は、何だか俗っぽい感じがしたんだけど・・・。『紅葉狩』の演出ってそんな感じなんですか? 初めて観るのでわかんないんですけど。

 前半が品のある舞台だったのに、この立ち回りがやけにばたばたして俗っぽいというか・・・下品に感じられたなぁ。


【野田版愛陀姫】
 やっぱり・・・野田秀樹の芝居を歌舞伎役者が演じること、そしてそれを歌舞伎と名付けて上演することの必然性がどこにあるのか解らない。

 だって、歌舞伎や歌舞伎役者が従来持っている美しさ・・・舞台の空間のつくり方、彩り方、身体の動き、台詞の心地良さ、音楽や音のリズム、呼吸・・・そういうものがほとんど封印されてしまっている。そういう美しさを犠牲にしてまで、何度も取り組まなければいけない程、野田秀樹の芝居は面白いか?
 
 ・・・面白いのかもしれないけど、歌舞伎の良さが殆ど死んじゃってるものを何も歌舞伎だと言って上演する必要は無いじゃないか。

 野田秀樹は歌舞伎という名前と歌舞伎役者を使って一体何をやりたいんだろう。そして勘三郎さんは、野田秀樹と何を作りたいんだろう?

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2008年08月23日

八月納涼大歌舞伎 第二部

【つばくろは帰る】
 江戸のいい男代表!みたいな大工・文五郎の三津五郎さん。女の弱さ、狡さ、悲しさ、したたかさを煮しめたような祇園の芸妓・君香の福助さん。このあたりはさすがの安定感。

 文五郎の弟子たち〜勘太郎さんの三次郎は気性のさっぱりした純情男。巳之助さんの鉄之助は愛嬌いっぱいの弟キャラ(普通に今時の子…な感じもしたけど(笑)巳之助さんて愛されキャラだよねぇ。亀治郎さん巡業の口上でもよくいじられてたし。)。七之助さん、芝のぶさん、新悟さん、松也さんの舞妓たちは子雀のように賑やかに可愛らしく…。

 生き別れの母子ものって…ストーリーは泥臭い感じもしたけど、人物がみんな気持ち良くって、魅力的で、泣き笑いいたしました。


【大江山酒呑童子】
 中村屋人気は大変なもので、勘三郎さんが登場すると客席が瞬時に温まります。でも、勘三郎さん=面白いっていうのが客席に充満しすぎて、皆すきあらば笑おうって構えてる空気が嫌だなぁ〜と思うこともある。

 時には、そういう空気をクールに薙ぎ払い、観客をザックリと打ちのめすような舞台を見せて欲しいなぁ。

 ところで、この「大江山」…ちゃんと見ていたんだけど、あまり印象が…。最後の仕掛は、「ほぉ、これかぁ〜」と思ったけど…

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八月納涼大歌舞伎 第一部

【女暫】
 やぁ、綺麗、綺麗。境内に咲きこぼれる梅の紅白。舞台に居並ぶ人たちが身につける衣装の赤・白・緑・藤・紫・金・黒…。華やかだなぁ。

 善玉、悪玉がやぁやぁやる中に「し〜ば〜ら〜くぅ〜」の声がかかって、凄い扮装の巴御前・福助登場。圧倒的なスーパーウーマンぶりに胸がすきます。七之助さんとの「ま、ま、成駒屋のお姉さん」「おや、中村屋の…」というやり取りは客席へのご祝儀。なんか嬉しくなっちゃう。

 引っ込み〜巴と舞台番の掛け合いは、もぅたっぷりのファンサービス。こういうのやらせたら勘三郎さんの右に出るものはないなぁ。あ〜 楽しかった。

【三人連獅子】
 父母獅子、子獅子の三人で踊る、情感溢れる連獅子。獅子の厳かさ、めでたさを見せる従来の連獅子とはまた別な味わいの踊り。

 雅やかな衣装(パンフレットには有識風とある)、柔らかく優しげな雰囲気。舞台の景色に立体的な遠近感があって、随分と現代的な感じがする。

 ただ、私の好みでいうと、人間くさい、粘っこい情感がありすぎて、ちょい気持ち悪かった。母獅子がぱちぱちと手を叩く音も、何か脳に嫌〜な振動だったなぁ。

 子獅子の国生さん、後半奮闘してたけど、前半は探り探りやってるように見えたなぁ。あどけなさが愛でられる歳でもなし、自分で踊るというとこまではまだ…。難しいお年頃かなぁ…。

【らくだ】
 いやぁ! 死人のカンカン踊りだぁ!

 長屋の嫌われもの馬太郎がフグにあたっておっ死んで、馬太郎の悪友・無法者の遊び人半次と、巻き込まれた気弱な紙屑買い久六が起こす一騒動。

 半次・三津五郎さん、久六・勘三郎さん、馬太郎・亀蔵さん、家主の市蔵さん、家主女房・彌十郎さん・・・この人たちが悪ふざけを始めたら、ドリフや吉本新喜劇は足下にも及ばないなぁ…。

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2008年08月20日

スカイ・クロラ

「スカイ・クロラ」 監督:押井守


 カンナミが降り立つ基地の様子。ミートパイの美味しいドライブイン。偵察飛行で眼下に見る風景。大きな作戦の為、各基地から集結し空を埋め尽くす戦闘機、爆撃機。…あまりにも、小説を読んで頭に描いていた映像そのままで、何度か不思議なデジャヴュに襲われた。

 キルドレ…大人にならず、永遠に子供のまま戦闘機に乗り空を飛び、殺しあいを続ける運命。小説での彼らは、自我を少しずつ手放して、どんどん軽く研ぎ澄まされていく存在で、そこからは善悪も、喜びや悲しみの感情も最小限に削ぎ落とされていたけれど、アニメ版の彼らはキルドレという自らの在り方に感情を揺らす。

 菊池凜子の、もったりした喋り方は、地上に落ちていきながらも、いつも飛ぶことを切望していた原作シリーズのクサナギのイメージに合わず、聞いててジリジリさせられたが、アニメ版のクサナギ〜長く生きて、他人に干渉することを覚えたキルドレ〜には似つかわしい声だったかもしれない。

 同じ姿、同じ癖を持ったまま、違う名前で繰り返しやって来るキルドレ…なんて、映像にしてしまうと「そのまんま」すぎて何だかなぁ…と思う場面もあったけど、やはり空中での戦闘シーンは圧巻。文字で読むだけでは受取りきることができなかったキルドレの現実〜彼らの日常として永遠に続く、空の上での殺しあい〜が、文字で伝えられる分量を大きく超える情報量で流れ込んでくる。



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2008年08月17日

貴方だけをみつめるつもり

Image001.jpg東京へ旅立つ私へのはなむけ?として、夫が双眼鏡を買ってくれた。
観劇の際には、オペラグラス等は使わない主義だったんだけど、今回はピンポイントで勘太郎さんを見たいとこもあり…。
これで、三階席から勘太郎の更科姫にがぶり寄るのだ!

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2008年08月16日

夢の江戸歌舞伎 : 服部幸雄・一ノ関圭

「絵本 夢の江戸歌舞伎」 文 服部幸雄 /画 一ノ関圭

 江戸時代 〜 大衆に愛された娯楽であった歌舞伎。そしてその祝祭の場であった芝居小屋。

 作者部屋に弟子入りした少年を水先案内にして、江戸三座の一つ中村座での興行の様子を、生き生きと再現した絵本。

 役者・裏方・観客のエネルギーがぶつかり合い、みっしりと熱気のこもる色彩溢れる空間。立ち現れる夢の世界。表情豊かに、今にも動き出しそうな臨場感。ふぅわっと画面の中にひきこまれそうです。

 「江戸の人たちが体感した歌舞伎を、芝居小屋の空間を、何とか現代の人にも“感じて”もらいたい!」という心意気で、詳細に資料をあたり、検証と試行錯誤を重ね、8年の歳月をかけて完成されたというこの絵本。

 小屋の内部まで詳細に書き込まれた画面は、ただ過去を正確に再現した図ではない。江戸の人が見たかもしれない幻まで一緒につれてくる、「夢」という名の魔法がかけられている。



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2008年08月15日

目下の悩み

 20日東京到着後、歌舞伎座へ向かい「大江山〜」の幕見に並ぶか、それとも丸の内TOEIに「スカイ・クロラ」を見に行くか。

 「大江山」を見た後、「スカイ・クロラ」を見に行くこともできるが・・・ん〜 ん〜 どうしよう。

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2008年08月12日

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない : 桜庭一樹

「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない―A Lollypop or A Bullet」 桜庭一樹

 『生き抜けば大人になれたのに・・・・・・』

 この小説を読んで、「生き残った子ども」が発することの出来る言葉は、主人公の少女達の担任教師が呻くように吐き出したこの一言と同じ言葉だけだろう。 

 大人がいいものか、そうでもないものかは置いといて・・・生き残った子どもは、大人というまったく別の生き物になるという事実だけ。


 現実の生活に効く「実弾」を手に入れるべく奮戦した子。とりあえず手元にある砂糖菓子の弾丸をやたらに撃ちまくった子。両手だらりん戦法で世界とわたりあおうとした子どももいたかもしれない。

 生き残って別の生き物になってしまった子どもは、自分が戦ってきた戦争のことを、うすぼんやりと、甘ったるくしか思い出せないから、誰かがその悲惨な戦争のことを書きとめておかないといけない。

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2008年08月10日

からくりからくさ : 梨木香歩

「からくりからくさ」 梨木香歩

 祖母の遺した古い家で暮らし始めた蓉子と、3人の女性下宿人〜マーガレット、紀久、与希子。庭の草を摘んで食べ、心を持った人形「りかさん」を囲み、糸を染め、機を織る 〜 巡る時間の中での女たちの日々の営み。

 女たちの何事もない日々の生活はもちろん、そこに訪れる葛藤も、共感も、温もりも、小さな波乱も、あくまでゆるりと、荒ぶらない穏やかなトーンで描かれるのだけど、決して彼女らの世界が優しく穏やかだというのではない 〜 そこには常に、何か容赦のない目が注がれているのが感じられるのだ。

 何処がどう“容赦ない”のか? と言われるとちょっと困ってしまうのだけど・・・、例えばそれは、時に女たちが見せる鼻持ちならなさや、ちょっとした醜さをさらりと書いてのける筆致(そこに、彼女たちの欠点をあげつらうような意地悪さは微塵もない。女たちが見せる色んな顔、色んな感情に対して、それを彼女らの美点・欠点と区別することなく、其処に何らの感情移入をするでもなく、全てを「女たちが持つ一面」として同一の平面上にさらりと見てしまう目が“容赦ない”なぁ・・・と。)

 4人の女たちの生と日常の底に流れる、一人一人の人間とどこかで接点を作っていながらも、一人の個人の力など及ぶべくも無い、大きな大きな人の世の流れというのも容赦がない。

 容赦のない世の流れの中に一人一人の人が遺す跡。名も無い人の営みの中で連綿と伝えられていくもの。長い長い連続の中に生まれる、時に劇的な、時に小さな変化。機を織るという行為にからめて描かれる、長い時間繰り返されてきた人の営み。

 蓉子たち4人の女たちも、古い家の結界に包まれ、先に生きた人たちによって紡がれた縁に導かれるように、「自分の仕事」を探り、自分の織物を織っていくのだろう。 

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2008年08月08日

水が氷になるとき : 西炯子

「水が氷になるとき」 西炯子

 小学館文庫版です。

 年齢不詳。一本に結んだ、柔らかくウェーブする長い髪。まぁるい眼鏡。西炯子さんが一時期よく描いていた「嶽野義人」という魅力的なキャラクター。彼が登場する作品がまとめて読める。少年時代から30代まで、いろんな年齢の「嶽野義人」が登場。嬉しい。

 「嶽野義人」に出合ったのは、私もまだ結構多感な娘だった頃のことで、“寂しいから一人でいる。” “本を読むのは自分の中に何もないからだ。”・・・嶽野が口にする言葉は当時の私には印象的だった。

 寂しさを不器用に滲ませる人たちの側にふわりと現れ、ひとときの温もりのように寄り添う「嶽野義人」 〜 平気を装った外見の中で、震える心が周囲の寂しさと共鳴し惹かれあった少年時代の嶽野くん。孤独の中からおずおずと伸ばされる手をそっけなくも、大きく包みこむ大人なおタケさん。・・・彼自身も内に大きな欠落を抱えているのだ。 

 “忘れられない人、嶽野義人”・・・或るひととき嶽野と共にすごした人たちにとって、彼が忘れられない想い人であるのと同じように、私にとっても、おタケさんは恩人であり、想い人であり、忘れられない人なのだ。

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2008年08月06日

広島の静かな朝

 広島を離れて、もう随分経ってしまった。何だかんだ言って、自分の中で今日が広島の原爆記念日という意識が薄くなりつつあって怖いのだけど、毎年八月六日に広島を覆うあの空気のことは、できるだけ忘れたくないと思う。

 小学生の頃、八月六日前後には登校日があって、蒸し暑い講堂に暗幕をめぐらして『怒り地蔵』や『ピカドン』などのフィルムを観た。暑くて苦しくてすごく嫌だった。

 八月六日原爆記念日とはいっても、殆どの企業・施設は通常通り営業しているから、朝の市中心部はいつもどおり、いや式典に出かけてくる人がいるからいつも以上に人通りが多い。でも、この時だけは街から音が消える気がする。この時だけは、広島の街の真ん中に祈りが満ちる。

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2008年08月05日

ジュンク堂に行ってきた

 お休みだったので、買い物のついでに天神のジュンク堂に行ってきた。

 何か面白いマンガ読みたいなぁ〜。でも、最近何が面白いのか良くわかんないしなぁ〜。・・・と思いながら、コミックコーナーをくまなく歩き回った。でもぉ〜、今はコミックの出版社も雑誌も作品もありすぎて、どこに手をつけたらいいかわかんない。まったくお手上げ。

 面白そうだと思っても、あまりに長い連載物はハナから尻込みしてしまう。何十冊も買い続けるのは、余程の作品じゃないとイヤ。

 そんな中で、「これ、買お。」と思った(今日は買わなかったが・・・)がこれ。



 映画「怪談」・・・すごく見たかったんだけど、ホラー苦手なビビリの私は「怖かったらどうしよう・・・」(怪談だから怖いの当たり前)と、結局見にいけなかった。

 漫画なら、怖くなれば“ちょっと休憩”とかできるし、凄く丁寧に描かれているという絵も楽しみで・・・。これは、近々買います。

 でも、累といえば・・・今、本当に一番観たいのは亀治郎さんの累。行けないけど、さすがに。
 
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2008年08月04日

弄月記 : 赤江瀑

「弄月記」 赤江瀑

 ああ! 赤江瀑だ! この妖しさ! 狂おしさ! 説明のつかなさ!

 人の行く道と一瞬交叉する、目に見えぬ魔の道。心の内に静かに醸される魔。

 いつ何時、人をとらえてしまうのか、そこに立ち現れてくるのか・・・計り知れない、日常を生きる目には決して見えないはずの妖しい逢魔の時を、目の前に現出せしめる十二編の短編。

 冒頭の情景だけで、いきなりこの世ならぬ世界へと攫い、続く言葉で更に深く深く・・・深淵へと導く。そして・・・引いていた手をいきなり離すかのような不意の幕切れ、身動きすらかなわない崖の突端に、あるいは真っ暗な闇の只中に立たされる。赤江瀑独特のリズム・うねりに思うさま翻弄される。

 中でも表題作『弄月記』 −亡き妻の言葉に従い、廃村の山に照る美しい月を訪ねた画家の懊悩と、死に場所を求めて月の美しい山を彷徨う老女形の姿− 月の光の印象があざやかで、その月の光の照らす世界が妖しい。

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