大塩平八郎と共に蜂起した父・履三郎の罪を負い、数え十五の歳になるのを待って遠島の刑に処せられ隠岐・島後へ流された西村常太郎。流人である常太郎を島後の人々は敬意をもって迎え入れた。支配者の横暴、理不尽に耐えて生きる島後の人々のなかに、窮民の為にすべてを擲って立ち上がった大塩平八郎とその高弟・西村履三郎を知らぬ者はなかった。
江戸後期から幕末〜御一新へと至る時代、島民に支えられながら成長し、医者となり島で生きる常太郎の目を通して描かれる島内外の出来事、孤島に生きる人々の精神性、諸国の廻船により海を渡って島に流入する事物とそれらによって島にもたらされる変化、島に兆す不穏な気配。
様々なことが重なって生まれる時代のうねりが重層的に描きこまれた厚みのある小説だが、『神無き月十番目の夜』
民は抗う力を失い従順な被支配者となり、支配者は目的と意志を失い既得の権益にあぐらをかくばかりとなり、「腐敗した無能な支配者=悪/悪政に振り回され搾取され続ける民=犠牲者」と描かれる世界の図式が単純化されてしまったように思うのは、多くの綻びを見せながらも長く続いた徳川幕府による支配の果ての幕末という時代背景のせいか・・・。
江戸初期〜中期を舞台にした『神無き月十番目の夜』
ただ、最後に常太郎に手渡される迦楼羅の面・・・島の奥深く「御山」に棲む狗賓の遣いの、静かな闇をためて常太郎をみつめるその瞳が、島の人々の胸にいまだ宿る何ものかを語っているのかもしれない。
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