再読。
真っ白な雪が降った日、自殺行為にも似た手術を受けて帰らぬ人となった青年・汐見茂思。病室で親交を持った僕の手には、汐見の青春の日、美しい魂を持った少年・藤木との、そしてその妹・千枝子との儚く破れた愛を綴った2冊のノートが残された。
・・・四年前に読んだ時には、この孤独に苛まれる青年・汐見茂思を「エェ、面倒くせぇ男だ」としか思わなかった。そりゃ、あんまり汐見に冷たい。もしかして、もう一度読んでみたら印象が変わるかなぁ、と・・・思ったんだけど、汐見のウザさが増しただけだった。藤木に愛を請い、愛を説く汐見は、まるで押し付けがましい勧誘員のように独りよがりなんだもの。
―ねえ藤木、それじゃ君は一人きりで誰の助けも借りないで、歩いていこうっていうのかい?
―ええ
―だけど人間なんて無力なものだよ、そんなに君みたいに言ったって、
―それは無力です。でも僕の孤独と汐見さんの孤独と重ね合わせたところで、何ができるでしょう?
―孤独だからこそ愛が必要なのじゃないだろうか?
汐見は自らの孤独と愛を口にする。自分の孤独を強靭なものにしたいのだと言いながら、一方で彼が求めた愛は、親密な幸福感に満たされた世界の中に閉じてしまうこと〜 幼児のような幸福感の中で、孤独を忘れてしまうような類のものであったように見える。彼が見ていたのは「孤独」ではなく、そのような愛に満たされていない自分の中の「欠落」なのであって、彼は自分の本当の「孤独」を量ることはできていなかったのではないか。
自分の孤独を量れない汐見は、藤木の孤独を量ることも出来ない。そして、藤木の方がむしろ本当の孤独に近い人だった。藤木は自らの孤独の為に、汐見の求める愛の中に閉じてしまうことを拒んだのだろう。
藤木を喪った汐見は、藤木の妹・千枝子を愛するようになる。千枝子も兄と同じように、汐見の愛には漠然とした違和感、怖れを抱くが、それでも彼女は汐見に優しかった。スパークする幸福感の中で、千枝子を押し倒した時、しかし、汐見は孤独の本当の姿を見たのだ。
僕が感じていたものは、愛の極まりとしての幸福感ではなく、僕の内部にある恐怖、一種の精神的な死の観念からの、漠然とした逃避のようなものだった。
愛は僕を死の如き忘却にまで導くことはなかった。もう一歩を踏み出せば、時は永遠にとどまるかもしれない。しかしその死が、僕に与える筈の悦びとは何だろうか、―――僕はそう計量した。激情と虚無の間にあって、この生きた少女の肉体が僕を一つの死へと誘惑する限り、僕は僕の孤独を殺すことは出来なかった。そんなにも無益な孤独が、千枝子に於ける神のように、僕のささやかな存在理由の全部だった。この孤独は無益だった。しかしこの孤独は純潔だった。
愛の力で孤独を打ち消してしまうことを無意識に拒んだ汐見。しかし、孤独の本当の姿を見てしまった後も、汐見の思う愛は変わらなかった。汐見にとって、愛とは孤独を殺してしまうもの。汐見が孤独を選んだ以上、汐見にとって愛は永遠に得られないものになってしまう。孤独と両立しうる愛を見つけることができなかった汐見は絶望する。
もしも、汐見にもっと時間が与えらていたなら、いつかは彼も愛を得ることが出来たのかもしれない。でも、千枝子との愛に破れて後、戦地へと召集され、その後、病をえた彼には充分な時間が与えられることはなかった。
愛するというのは選ぶこと、そして選んだ以上は、一生を賭けて責任を持たなければならないのでしょう?(藤木)
石井を選んだのはわたくしの意志で、〜略〜もしその後わたくしが不幸になったとすれば、それはみんなわたくし一人の責任で、母も石井も与るところはない筈でございます。(千枝子)
「孤独」とは自分に責任を持つということで、「愛する」とは他人が負っているそれぞれの孤独=責任の一部を我が事として引き受けるということなのだと思う。
汐見茂思は、孤独を守ることにも、愛することにも、愛されることにも、芸術家として生きることにも、ただありふれた人として生きることにも失敗した。これは、そんな「汐見茂思の失敗」の物語だ・・・と言ったら冷たすぎるだろうか。
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