2024年09月28日

黒牢城 : 米澤穂信

『黒牢城』 米澤穂信

 以前読んだ『折れた竜骨』は、剣と魔法のファンタジーの世界に論理的推理を持ち込んだミステリー作品だったが、本作は時代劇に謎解きを持ち込んだ・・・いや、単にそういうことじゃなく、織田に叛旗を翻した荒木村重の有岡城での籠城戦の顛末そのものをひとつのミステリーに仕立ててみせたというべきか。

 ある種の密室状態である有岡城内に持ち上がる怪事件。謎解き役は土牢に囚われの黒田官兵衛。

 以下はちょっとネタバレになるかもしれないけれど・・・。

 序章と終章を除く四つの章で籠城中の有岡城に持ち上がる四つの怪事が語られる。荒木村重の視点で物語が進むので、頭の中では村重を主人公とした世界が構築されていくが、「怪事発生」→「村重、謎の究明に乗り出す」→「謎、解明せず」→「知恵を借りるべく土牢の官兵衛を訪ねる」という展開が繰り返されて、「ちょっと展開が単調すぎやしないか?」という思いが頭を過り始めたころ、村重視点の語りは仕掛けの一つだったか! ということに気付かされる。となると、主人公は・・・。 

 そう思ってふと見れば、タイトルは『黒牢城』である。タイトル見れば始めっからそのことは示唆されてたんじゃん。もう一回、官兵衛視点で読み直してみたいと思うけど、少し記憶が薄れるのを待たなきゃなぁ。


『折れた竜骨』感想・・・http://bitter-sweet-pea.seesaa.net/article/417355266.html

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2024年09月13日

三体V 死神永生 : 劉慈欣

『三体V 死神永生』 大森望、光吉さくら、ワン・チャイ、泊功/訳

 長い物語を読み終えて呆然としている。三部作の前二作は「映像で見たい!」と思ったが、これはさすがに「映像」で「見る」ことは難しいんじゃないか? いつかこれを体感させてくれる技術は開発されるだろうか。

 第二部の主人公・羅輯が関わった「面壁計画」の裏で進行していた「階梯計画」。三体世界に一人の人間をスパイとして送り込むというこの計画に主要スタッフとして関わる航空宇宙エンジニア・程心が第三部の主人公。人類の命運を左右する選択を託される存在へと押し上げられていく程心。彼女の選択はどんな未来を人類にもたらすのか・・・。


 序盤でばらまかれたパズルのピースが中盤から終盤にかけてスピードを増しながら組み合わさっていく。驚かされたのは、ピースが組み合わさっていくことで徐々にそこに描かれているものが見えてくると同時に、ピースが組み合わさっていく毎にその描かれたものがどんどん様相を変えていくこと。

 非情な宇宙での人類の生き残りをかけた物語なのだが、本作を貫いているのはつまるところ「愛」・・・なのか? 三体世界からの攻撃の非情さや、宇宙の摂理の厳しさにさらされる中で、甘いとも見えてしまうほどの程心の人間愛。スパイとして三体世界へ送られた雲天明が程心に贈り続ける健気で一途な無償の愛。(彼の贈る渾身の愛が空振りしがちなのが哀しいところではある。)

 作中に散りばめられた「愛」が、人類がたどった運命とその非情な結末にロマンチックな余韻を添えている。


 前二作の主人公たちと共に戦った頼もしきアニキ・史強が登場しなかったのが少し寂しい。

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2024年09月04日

三体U 黒暗森林 : 劉慈欣

『三体U 黒暗森林』 劉慈欣 大森望・立原透耶・上原かおり・泊功/訳

 地球人類に対して圧倒的な力の差を見せつけた三体文明による恫喝。三体文明の艦隊が地球に到達するまで400年余りの時間で人類に打つ手はあるのか?!

 やっぱり「映像で見たいっ!」と思ってしまう大エンターテイメント作品。

 三体文明が送り込んできた陽子型スーパーコンピュータ「智子」の常時監視にさらされた中で唯一三体人の弱点をつける可能性のある作戦「面壁計画」が立案され、人類の命運を託す四人の「面壁者」が選ばれる。

 前半の展開は少しまどろっこしく感じる。点々と描かれる、宇宙軍の創設と招集された軍人たちの想い、宇宙軍内部の駆け引き、細々と生き延び対三体文明の計画を妨害せんとする地球三体協会の動き、三体危機下での市井の人々の暮らし、面壁者たちの動向。特に主人公の一人である面壁者・羅輯の「理想の恋人妄想」とそれに続く「現実となって現れた理想の恋人との夢のような生活」のくだりは「これずっと付き合わなきゃダメ?」と微妙にうんざりしてしまうのだけど、前作を読んだ経験上、これらが終盤で一気に連鎖しつつ物語が加速していくのを知っているから、「これも後半のドキドキと爽快感を高めるために必要な我慢」と思って読み進める。

 そして・・・三体文明が送り込んできた探査機「水滴」を鹵獲すべく二千隻の地球艦隊が隊列を整えて勢揃いする場面からはまさに期待どおりの息もつかせぬ怒涛の展開。絶望に次ぐ絶望。父の想いを継ぎ、「冬眠」を経て2世紀に渡りその志と真意を秘めて行動し軍人としての責務を果たした章北海と、「宇宙とは暗黒の森である」という理論にたどり着いていた羅輯の面壁者としての戦い。彼らの孤独な戦いにビリビリと感電する。

 前作『三体』でも三体文明に立ち向かう科学者・汪Eの頼もしい相棒だったワイルドな中年・史強が、羅輯にとってのバディとかボディーガードってのを超えて何かもう天使みたいになっちゃってるのが微笑ましかった。

 続きを読もう。

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2024年06月28日

三体 : 劉慈欣

『三体』 劉慈欣 大森望・光吉さくら・ワン チャイ/訳

 Netflixのドラマ版CMを見て、「何これ、面白そう」と思ったのがきっかけ。Netflixには加入してないので小説読もうと。

 天を衝くパラボラアンテナ。ナノマテリアルの研究者・汪Eの撮った写真に写りこみ、視界を覆うゴースト・カウントダウンの文字。明滅する宇宙。奇想天外なファンタジー設定でありながら妙に生々しいVRゲーム『三体』の世界。

 あ〜これ、映像で見たら面白いだろうなぁ〜〜〜。
 
 三体問題をはじめ、数学、物理学の分野に話が踏み込む場面が多くて、「あ、これ理系センスがないとわかんないやつか?」と一瞬ビビるが、理系云々関係ナシに楽しめるエンターテインメント色濃いめな感触。(もちろん理系センスあればさらに楽しめるんだろうけど)

 科学知識は武器になるけどメンタル人並みの汪Eとワイルドがすぎる警官・史強。反発と挑発と繰り返してた二人が、互いに信頼のようなものを抱いていくそのバディぶりはもう間違いのない様式美ではないだろうか。


 人類に絶望したある一人の科学者が放った叫びに呼応して、異星の艦隊が地球征服に動き出す。
 『おまえたちは虫けらだ』

 異星人の高次元すぎる攻撃と強者すぎる恫喝にエリート科学者たちが心を折られ戦意喪失する中、
 『やつらはどうやら一つの事実を忘れちまってるらしい。虫けらはいままで一度も敗北したことがないって事実をな。』
 
 史強が言い放つ台詞は、登場人物たちだけでなく私たち読者が心に抱える、自分たち生きる社会、文明への懐疑や絶望感をなぎ払う。そのワイルドな生命力に「ぅおおおおおおぉ〜、大史〜〜〜〜!!!!」と拳が突き上がってしまう。

 続編を読もう。


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2023年10月06日

江戸東京の明治維新 : 横山百合子

『江戸東京の明治維新』 横山百合子

 この夏、『坊ちゃん』『三四郎』『それから』『門』と夏目漱石の小説を読んで、ちょっと明治という時代のことを勉強せねばと思ったので、まずは手軽に読めそうな新書から。

 『三四郎』の中に「明治十五年までの生まれの者とそれ以降の生まれの者ではものの見方、考え方が随分違う」というような台詞があったと思うが、本書はその明治十五年頃までにおきた江戸から東京への変化を数々の史料から読み解いていくもの。

 幕府の瓦解によって人口が激減した江戸の都市空間をどのように再編したのか。江戸時代の身分による統治に代わる新たな統治の形をどのように模索したのか。これまで生きていた秩序がゆれ動く中で生まれる矛盾、軋轢・・・その中で自ら生きる道を切り開こうとした人々の生の痕跡が史料の中から掘りおこされる。

 近世における「身分」とは何かということを解説した一節があり、これまで漠然としかとらえていなかった身分という言葉の輪郭がややクリアになった。
『同じ職分の人びとの集団が、何らかの公的役割を担うことによって社会的に認められ、身分が成立する』

『それぞれの集団は、自らの生活や生存を維持する職分について、何らかの役を負うことで社会的に特権を認められ身分を形成するのである。一方、幕府や藩もそれらの身分に一定の自律性を認め、身分に依拠して支配を行った。』

『士農工商賤民という基幹的な身分だけでなく、芸能者や宗教者など、職分に応じた細かな身分集団が数多く生まれ、集団の実態に応じて身分も生成・変化してきた。』


 本書の中に、官営事業の払い下げを受けた政商や藩閥官僚関係者たちのことが書かれているが、『それから』の主人公・代助の父や兄もそういう人たちだったのかな。


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2023年04月13日

ノートル=ダム・ド・パリ : ヴィクトル・ユゴー

『ノートル=ダム・ド・パリ』 ヴィクトル・ユゴー

 鶴屋南北の『金幣猿島郡』とユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ』を綯交ぜにしたお芝居〜「猿之助と愉快な仲間たち」の『ナミダドロップス』の予習のために、先月の京都旅行中に読んでいたもの。

 結局、観劇当日までには二幕構成の第一幕にあたるとこ(小説の第七編あたり)までしか読むことができなかったのだけど、やっと読み終えた今になってみると、偶然にもそのあたりが舞台を味わうためにちょうど良い頃合いだった。ちょうどそのあたりから物語は分岐してそれぞれの結末へとなだれこんでいったから。

 『ナミダドロップス』では、踊り子・翡翠からかけられた情けによって鐘撞き人・清日古から溢れた涙が人々の悲しみと怒りがもたらした災禍の上に降り注ぐ苦くて甘い雨となり、『ノートル=ダム・ド・パリ』の物語は人々が容赦のない運命の歯車にまかれ無惨な混乱を極めた末のカタルシスへと至る。


 『ノートル=ダム・ド・パリ』・・・容赦のない、聖と濁がぐつぐつ煮えたぎる生命力の坩堝のような物語だった。富める者も貧しき者も、王様も盗賊も皆、自分が得ることのできる利益を最大限にすることが生きる上での最重要事。あまりに剥き出しの生のエネルギー(それは容易く死のエネルギーにもなる)にあてられて、現代をのほほんと生きる私のひ弱な心と身体にはかなりなストレスがかかる。

 もうね、主要な登場人物にいわゆる「いい人」がいないのがしんどい。(カジモドは終始献身的ではあるんだけど、それが故にあの殺戮の限りを尽くすのだしね・・・)

 身勝手で悪質なストーカーの見本のような司教補佐クロード・フロロ。その司教補佐に金をせびっては放蕩に身を持ち崩すろくでなしの弟・ジャン。司教補佐につけ狙われる踊り子・エスメラルダは王室の警備隊長・美男子フェビュスに夢中で自分の身を案じてくれる人々の言葉や思いに泥をかけてばかり。エスメラルダが恋焦がれる美しいフェビュス様は絵に描いたようなゲス野郎。

 読みながら「あ〜もぉ、なんて心掛けの悪い人たちなんだろうっ! この人たちをぎゃふんと言わせて心を入れ替えさせるるような展開はないの?」とプリプリしていたんだけど、彼らに、「え? あ・・・? ごめん・・・。そこまでのことは求めてなかった・・・。」とドン引きするほどの残酷すぎる罰が下ったのには、ホントに・・・引いた・・・。ごめん、ホントに私が甘かった。ごめん、マジで。私が求めてたのは、フェビュス様が受けた程度の・・・ホント、あの程度の日常レベルの罰だったのよ。ここまで容赦ないと知らなかったの。ホントに・・・。


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2022年01月22日

水晶萬年筆 : 吉田篤弘

『水晶萬年筆』 吉田篤弘

 いわゆる現実だとか日常だとかいうものは、確固として存在しているわけではなくて、音やら色やら光やら時間やらの有相無相の混沌に知覚の網をかけて掬いだしたものに与えられた便宜上の姿でしかない・・・っていうようなことを何かの本で読んだ。

 混沌を掬う網の目が変われば、現実はいくらでも姿を変える。虫には虫の、鳥には鳥の、獣には獣の、魚には魚の、人には人の・・・その数と同じだけの知覚の網の目。

 「S」の文字と水の気配に満ちた町。半分だけの絵。繁茂して人を惑わす「道草」。月夜に「人知れぬ植物」を育てる人。言葉に導かれて変身する男。怪盗が街に落とした片目。六篇の物語に描かれる十字路のある風景。

 奇妙なことが起こる街で主人公たちが歩き、出会い、彷徨う十字路の連なりは、混沌の中から何かを掬いとる「網の目」みたいなものだったのじゃないかしらん? なんてことが思い浮かんで頭から離れなかったんだけども。

 なんだか小賢しげにいらんことを考えてしまった自分を苦々しく思う。もっと虚心に物語を楽しめば良かったのに・・・と。





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2020年04月25日

国宝 : 吉田修一

『国宝』 吉田修一

 極道の家に生まれながら数奇な縁で歌舞伎の家に迎えられ、芸の道をひたすら進む美貌の女形花井東一郎こと立花喜久雄〜後の三代目花井半二郎。華やかな光をあびるとともに、数々の悲運、苦難に見舞われ辛酸をなめながら、ただ芸道と己が求める美に身を捧げ、やがて美の極みに殉じていった孤高の女形。

 物語をぐいぐい引っ張っていくのは、喜久雄と彼をとりまく人々の姿を、時にカメラをぐっと引いて大きく俯瞰で映し出し、また時に息づかいを感じるほどに近寄ったクローズアップで切り取ってみせる軽妙で小気味よい語り。時と場所を移しながら、嬉しいことはもちろん、つらいこと、哀しいことも、しんみりとはするけれど、じめじめとはしない、どこかあっさり、さらりとした口調で可笑しみに紛らせて語っていく。

 実はこの「語り」が曲者で、物語が終盤にさしかかる頃、この「語り」こそが、喜久雄が身を置く美しくも残酷な美の彼岸と、私たちがその美を安全に享受するこちら側とを画する「一線」であったことに気づく。

 その「語り」が意図的にこの「一線」を曖昧にし始めた頃から、大きくうねりながらもどこかゆったりとしていた物語の流れは、にわかに急をつげ、喜久雄が見ているもの 〜 その恐ろしいほどの美しさ、激しさ、残酷さ、尊さが、わずかに「こちら側」に漏れ出してくる。

 そして、喜久雄の姿を見つめ、語っていたものが何者であったのか・・・それを思うとゾクリとするのだ。

 


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2019年07月17日

オリガ・モリソヴナの反語法 : 米原万里

『オリガ・モリソヴナの反語法』 米原万里


 1960年〜64年少女時代の数年間をプラハのソビエト大使館付属学校で過ごした志摩。志摩が通うソビエト学校には殊に印象深い二人の女教師がいた。派手な1920年代ファッションに身を包み独特の反語法を駆使して厳しく巧みに生徒を指導する舞踊教師オリガ・モリソヴナと、19世紀風の古風なドレスを身に着け、志摩を見つける度に「中国の方?」と尋ねてくるフランス語教師エレオノーラ・ミハイロヴナ。二人はソビエト学校の中で飛び抜けて個性的であると同時に多くの謎を秘めた女性だった。

 志摩は敬愛するオリガとその友人エレオノーラの謎を解くべく、ソ連崩壊後のロシアに赴く。

 資料をあたり、当時を知る人をたどり、話をつなぐうち明らかになっていく二人の波乱に満ちた過去とソビエトの暗い歴史、残酷な事実。謎を追うごとに明らかになっていくのは耐え難い暴力と不条理に満ちた現実と、それにさらされた人たちの痛苦、悲嘆なのだが・・・。

 それでも行間に溢れるのは、その地に息づく文化の豊かさであり、そこに生きる人々の暮らしの微笑ましさや愛しさである。そして、それらを凝縮したものこそオリガ・モリソヴナの反語法であり、オリガの生き方だったのだ。 





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2019年02月16日

おらおらでひとりいぐも : 若竹千佐子

『おらおらでひとりいぐも 』 若竹千佐子

 ネズミのたてる物音を聞きながら居間で茶をすする桃子さん。病院の待合室でまわりの人たちの様子を眺める桃子さん。亡き夫の墓への短くはない道のりを痛む足で歩いていく桃子さん。傍からみればただそのようにしか見えない桃子さんの中では、たくさんの声や言葉がとめどなくあふれ語り合い渦巻いている。

 自身の身体的・生理的・精神的状況、地球46億年の歴史、論理的思考、経験的知恵や感覚、記憶の底から浮かんでくる過去の情景・・・東北弁、文語表現、日常的な口語体、境目もなく絡み合いながら、老いにさしかかった桃子さんの内側で言葉となってだだ漏れる様々なことども。

 言葉の渦巻くさまは町田康のようだなぁ、とも思った。町田康の言葉が狂騒的なビートやちゃかぽこいうお囃子のリズムにのって繰り出されるのに対し、桃子さんの言葉は何というかなぁ・・・ブーンと唸る低周波音の振動のようだけど。

 桃子さんの中で交わされる会話、桃子さんの中で溢れ渦巻く言葉、それらは良くも悪くも桃子さんただ独りのものでしかない・・・のかな。桃子さんの言葉は桃子さんの来し方から生まれているのであり、桃子さんは「経験しなければわからないことがある」と思うのであり、桃子さんは「ひとりでいく」と言っているのだから。





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2018年10月12日

ヘンな日本美術史 : 山口晃

『ヘンな日本美術史』 山口晃

 三浦しをん『風が強く吹いている』単行本の装画のいい感じ具合がとても好きで、以来、画家・山口晃氏の名前にはちょっと反応してしまう。TVのドキュメンタリーなどを見ての印象は、むずかしいことも、ややこしいものも軽々と描いているように見える「ものすごく上手い人」。

 タイトルに『ヘンな』とあるからには、『すゞしろ日記』のようなユルさと可笑しみ漂う内容かと思ったのだけど、語り口はやわらかながらも、虚心坦懐、真摯に先人の絵と向き合った「山口晃流日本絵画の見方」というべき真面目な絵画論。でも、新聞や教科書や専門書なんかに載る美術評論に比べると『ヘン』なのかなぁ〜、もしかして。

 私にとってはすごく気になる、「あ、そこもうちょっと詳しく・・・」ってことが、第一章「日本の古い絵」の鳥獣戯画のくだりで語られている。
 日本の美術を考えたとき、私は「枠」とか「入れ物」という言葉が思い浮かびます。他の国の人たちが中身で勝負するときに、日本人というのは外側でそれをするのです。器とか枠と云ったもので何か物事と向き合うような所がある。

 これ、歌舞伎の魅力にも通じるとこじゃないかと思うのです。私が魅かれてやまない何か。技のかぎりを尽くしてこの上なく美しく精緻につくられた「入れ物」。そこに何物かが湛えられている、または流れ込んでいく様を思うとザワザワして仕方がないのです。


  


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2016年03月25日

すずしろ日記 : 山口晃

『すゞしろ日記』 山口晃

 三浦しをんさんの小説『風が強く吹いている』単行本の表紙絵が好きだ。ものすごく上手い、のに何か可笑しい。古典の香りもありつつ新品くさい。ものすごく手が込んでいるのに、「ぷす〜っ」と空気が抜けるように軽い。面白くて、ず〜っと飽きずに眺めていられる。その表紙絵を描かれたのが山口晃氏。

 墨一色の筆づかいも流麗に高名な画家先生の優雅で華やかな交遊と暮らしぶり(妄想)を描いた「元祖 すゞしろ日記」に、「元祖〜」よりぐっとくだけた「UP版すゞしろ日記」、他雑誌の特集記事のために描かれたものなど収録。

 何しろ小さなコマにぎゅうぎゅうに書き込まれた文字を読むのに難儀するが、当時30代の人が描いたとは思えない古めかしさ(氏の生まれ年を考えると年相応の昭和臭とも言えるのか・・・)、どうでもいい話題のどうでもいい具合”とそこに添えられた氏のユーモラスな自画像が心地いい。

 何度か登場する『グルメ篇』。食べ物がどれも美味しそうだ、というか食事を楽しむ山口氏ご夫妻の様子がいいせいで、出されているものがよけい美味しそうに見える。作中ではご自身の小市民的な姿を強調しておられるが、おそらく庶民ではちょっと気の張る高級店ではないかと思われるお店で、程よく寛いで美味しい食事を楽しんでいるその鷹揚さは、小市民どころか太平の世のお殿様クラスだと思う。何だか内田百閧フ随筆を読んで感じた百關謳カという人の上等さに似ているような気がする。

 『縁側に二時間おきっぱなしのぬるま湯のような境遇に育った』というユルさは本当のことかもしれない。だけど、そういう人には色々のお世話をやいてくれる人が不思議とあつまってくるんだよねぇ、きっと。


 



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2015年10月31日

文系の壁 : 養老孟司

『文系の壁 理系の対話で人間社会をとらえ直す』 養老孟司

 解剖学者・養老孟司氏と4名の理系の知性”との対談。

 理系的なセンスを身につけたくてこの夏取り組んだ課題『理系本を読む』。理系のセンスなんて一朝一夕に身につくものではなく、この先長くつきあっていかなくちゃいけない課題だけども、いつまでも理系本読んでると他に読みたいものも読めないので、一応の中締めのつもりで読んでみた一冊。

 のっけから「やっぱりそうなのかっ!!!」と驚き半分、やっぱり!感半分だったのが、森博嗣氏の「僕は言葉で考えていません」という発言。氏の思考の大部分は映像であり、数字を扱う場合も座標や形で考えるのだとか。そこに言葉が介在する必要は無いんだな・・・森氏の場合。

 この夏読んだ理系本に載っていたたくさんのグラフや図。読者の理解を助けるために載せられているはずのそれらの図やグラフの意味するところがちっとも理解できなくて閉口した。文系の私は図やグラフを理解するためにはそれらを一度「言葉」に置き換えなければならず、残念ながら私の頭の中にはそのための翻訳ソフトが入っていなかったのだ。「理系」といわれる人の多くはその翻訳作業を必要としない人たちなのかな・・・?

 社会と関わる上での新たな視点の獲得ということをひとつのキーにして交わされる理系人の対話。読みながら、理系とは目の前の現実・現象からダイレクトに事実を理解するセンス、文系とは目の前の現実・現象から物語をつくるセンスなのかな・・・と思う。

 でも、社会との関わりということで言うなら、問題は理系か文系かということではなく、ちゃんとものを考えているかそうでないかということなんだろうな、というのも本書を読んで感じたことではある。

第一章 理系と文系−論理と言葉
     森博嗣 × 養老孟司
第二章 他者の現実を実体験する技術で、
    人類の認知は進化する  
     藤井直敬 × 養老孟司
第三章 「唯脳論」の先にある、なめらかな社会の可能性
     鈴木健 × 養老孟司
第四章 ジャーナリズムか、生き物そのものを見るか 
     須田桃子 × 養老孟司  



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2015年04月15日

折れた竜骨 : 米澤穂信

『折れた竜骨』 米澤穂信

 中世ヨーロッパ〜ブリテン島の東、波高き北海に浮かぶソロン諸島。古き因縁により「呪われたデーン人」との戦いが迫る折しも、断崖と岩礁と潮流に守られた自然の要塞であったはずの島で領主ローレントが殺害された。領主を殺害したのは暗殺騎士の魔術に操られた<走狗>。領主の娘アミーナは暗殺騎士を追って島にやってきた騎士ファルクと従士ニコラとともに<走狗>を追う決意をする。

 魔術と剣のファンタジーの世界を舞台に論理的謎解きを試みるミステリーということらしいが、語り口には重厚さやものものしさはなくごくあっさりとしていて、ファンタジーとしての香りは薄め。

 とは言いながら、『騎士』『マント』『長剣』なんていうワードには何やら昂るものが抑えられず、思慮深く、老獪にも見えるがニコラ曰く根は「単純」な騎士ファルクのキャラクターの良さもあって、『呪われたデーン人』の来襲が迫るなか、頼もしい騎士と小生意気な少年従士に守られて領主殺害の犯人を追う冒険を、ゲームの中の世界に入り込んだような感覚で楽しめる。役どころとしてはヒロインであるアミーナに同一化できたわけではなく、作品には登場しないけど実はこっそり一行について歩いていた犬・・・くらいの感覚だけど。

 結末にはあまり驚かない。「彼の人物」が<走狗>ではあり得ないという確証は最後まで得られていなかったから。ただ何とも切なく温かい余韻が後をひく。






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2015年02月28日

幻色のぞき窓 : 山本タカト

『幻色のぞき窓』 山本タカト

 初めて目にしたのは何時、何処でだったのか・・・山本タカト氏の妖艶で仄暗い絵に惹かれている。

 ・・・惹かれている、のだけど、日々何事もなく過ごすことを第一に考え、まがりなりにも陽光の下で平穏に平凡に暮らしている私如きが、「山本タカトの絵が好きだ」などと言うのは憚られる気がして、これまで画集を買うことを躊躇ってきた。それでもやはり憧れは止み難く、「これは画集ではなくて、半分はエッセイだし・・・」と自分にもよくわからない言い訳をしつつ、初めて山本タカト氏の本を購入した。

 氏の住まう鎌倉の風景やそこに二重写しにたちのぼる幻視の光景、吸血鬼や両性具有、髑髏、球体関節人形などへの嗜好を語る言葉は衒いなく静かで何気ない。吸血鬼や髑髏や少女人形・・・そういうものたちのことを「好き」と言って良いのは、このように気負うことも身構えることもなくそれを口にできる人たちだけなのだ・・・と思う。

 以前から、薄目を開けた睫毛の間に様々なものを見てきた。

 いちばん羨ましく思うのは、この「様々なものを見てしまう目」である。

 自然の生命力を感じさせる複雑怪奇な形で生い繁る森の木々、海の向こうや山の端から射す日の光の粒、、海岸に打ち上げられた海藻類、鳥や魚の死骸、骨片、薄暗いトンネル、夜の闇・・・現実の鎌倉の風景の先に、氏の目にはこの世ならぬものたちの姿がありありと見えるのだろう。

 もしも、そのような「目」をもらう取り引きができるのなら・・・と想像してみるが・・・、何事も起こらない平穏と平凡から抜け出すのが恐い私には、その取り引きに乗る意気地はないだろうと思う。
 




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2015年02月18日

ラピスラズリ : 山尾悠子

『ラピスラズリ』 山尾悠子

 「冬眠者」をめぐる連作。

 3枚の古びた銅版画から物語は始まる。深夜営業の画廊〜夜の闇の中ににぽつんと浮かんだ時間と空間。ひどい睡眠不足で赤い目をした店主の語りに、視線は描かれた情景の中へと沈んでいく。

 人形に見守られて冬の間を眠りつづける「冬眠者」。春に目覚め、秋にはたっぷりの栄養を蓄え、また冬の眠りへ。長い、長い時間繰り返される営みの中に兆すもの〜眠りを脅かす火、血、疫病。何かが臨界点に達しようとする気配。そして訪れる混乱と崩壊。

 続く物語は更なる終末の気配を漂わせて語られる。ひたひたと海に浸食されていく廃市。エネルギーを失い静かに停止していくかに見える世界。眠りを見守る人形も朽ち果て・・・。ひとり目覚めてしまった少女は死んだ者を思いながら熱くて甘い苺のジャムを煮込み口にする。遠い幻想の中に語られる物語に何か非常に生な感情が宿る。

 そして、春の物語。名もない若者が目にした祝福。


 読みやすくはない。厚い霧の向こうにみるもどかしい夢のような幻想の世界。しかし確信に満ちたつよい言葉が放つ力で世界はしっかりと編まれている。



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2014年12月26日

トーベ・ヤンソン短篇集 黒と白 : トーベ・ヤンソン 冨原眞弓・編・訳

『トーベ・ヤンソン短篇集 黒と白』 トーベ・ヤンソン 冨原眞弓・編・訳

 現実と幻想の間のような風景・ヴィジョン、制御を離れて縦横に広がり膨らむ幻想・妄想、偏屈で孤独な芸術家、強すぎるこだわり、思い込みのためにともすると現実から浮き上がってしまう人たち、不器用で風変りで不愉快な余所者、どこかぎくしゃくとしたコミュニケーション・・・ 

 終わり方によってはすごく嫌な読後感になりそうな短篇群。しかし、最後に示されるあっけないほどの和解、控えめな理解、共感によって、ほっこり、爽やか・・・とはいかないまでも、哀しみと、諦めと、寛容と・・・何とも、こう・・・複雑な気分にさせられる。

 先日読んだ『エドワード・ゴーリーが愛する12の怪談 憑かれた鏡』の解説によれば、巻末に収録された「黒と白 エドワード・ゴーリーにささぐ」に描かれる、白木とガラスに囲まれた明るすぎる自宅を逃げ出し、古びた別荘に籠もり夢中で怪奇小説の挿絵を描く画家の姿は、『憑かれた鏡』のための仕事をするエドワード・ゴーリーからイメージを得たものであろうとのこと。






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2013年07月11日

猟奇歌 : 夢野久作・赤澤ムック編

『猟奇歌』 夢野久作・赤澤ムック編

 短歌の入門書を探しに出かけたのだが(ある短歌大会の運営委員をしている知人より、素人でも良いからと出品の誘いを頂いたので)、帰りに手にしていたのは夢野久作の『猟奇歌』だった。

 編者の赤澤ムック氏により八つの章がたてられ、その分類に沿って百十六首が収められている。読んでいるうちに、十代の頃に抱いていた、何に向けてよいかわからぬ憎悪、ここではない世界への憧れ、痛すぎる自意識などを思い出し、「おお! そういえば私にも十代の暗黒はあったのだ!」と懐かしい。
 地平線になめくぢのような雲が出て
 見まいとしても
 何だか気になる


 殺人狂が
 針の無い時計を持つてゐた
 殺すたんびにネヂをかけてゐた

 このような一首が熱病のようだった「十代の暗黒」を刺激するのは確かなのだが、多くの十代が抱く、出口もなく、形もなく、ただモヤモヤと蟠る非生産的な闇と異なり、「猟奇歌」に詠まれるのは、人の後暗いところに生まれ、言葉によってドラマとイメージをあやしく花開かせる、大人の嗜む猟奇である。
 誰か一人
 殺してみたいと思ふ時
 君一人かい…………
 ………と友達が来る

 という一首など、口の端に暗い笑いが浮かぶ、高められた「猟奇芸」とでも呼びたいような気がする。




よけいなことながら・・・

 あとがきに綴られる編者の「猟奇歌」への共感には、ちょっと同調しづらいところがある。編者は時代や社会情勢とからめて「猟奇」を語るが、猟奇を愛好する心は、時代や社会云々ということではなく、もっと個人的な領域に潜在しているのではないかと思うが・・・。

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2013年01月09日

エムブリヲ奇譚 : 山白朝子

『エムブリヲ奇譚』 山白朝子

 庶民が旅を楽しむようになった世の中。土地の名物、温泉の効能、道中のあれこれを記した旅本の作者であり、人に知られていない景勝地や温泉地を訪ねては旅をする和泉蝋庵にはとんでもない迷い癖がある。一本道を進んでいるはずが気づくと元いた場所に戻っており、十日はかかるはずの町には半日で辿りつき、山道を登っていたら広々とした海に出くわす。付き人として和泉蝋庵と旅を共にする「私」は、いつも蝋庵の迷い癖に巻き込まれ・・・

 一日中霧が立ち込め物の形も人の姿も曖昧な町、青い石と共に生まれ変わる少女、人の顔をした魚の獲れる村、あるはずのない橋が架かる崖、人を食う山賊の家・・・。道に迷った果てに、和泉蝋庵と「私」が辿りつく「ここではない何処か」。

 その奇妙な場所で、「私」は、生きている胎児を拾い、霧の中の温泉で死者と逢い、無垢な生き物を手にかけて殺し、死んだはずの男と取り違えられ、極限の惨劇を体験する。

 ただ部屋で酒を飲んでごろごろしていたいと思うような男である「私」。何か仕事をしようとしても長くは続かず、世間からはろくでなしと思われ、やめられない博打の借金がかさむ一方。わけがわからず、時に命の危険にさえさらされるような蝋庵との旅は、「私」にとって怖ろしく、厭わしく、呪わしいものであるのだが・・・

 現世で上手く生きられない「私」は「ここではない何処か」に魅入られる。「私」にとって、そして「私」の後を追うようにこの物語のページを捲る者にとって、和泉蝋庵との旅の先にある「ここではない何処か」は、寂しく哀しい陶酔の内に在る。



 山本タカト氏の表紙絵がまた・・・“連れていかれたい”気持ちにさせるのですよ。



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2012年12月19日

戯史三國志 我が土は何を育む : 吉川永青

『戯史三國志 我が土は何を育む』 吉川永青

 九度目の北伐に向かう蜀軍を率いる姜維の陣に参じた老将・廖化(廖淳)の胸には、もはや終わりの見えた蜀の滅亡を受け入れるべしとの思いがあった。師・諸葛亮から託された国を保つために先の無い戦いを繰り返すしかない姜維は、劉備らとともにこの国をつくりながら、今、すすんで国を畳むことを説く廖化の心を質す。姜維にこたえて廖化が語る劉備らと共に駆け、戦った日々と、その中で育んできた想い。


 作者の、女性の・・・というか、男女の関係の描き方が苦手だ。大切な男の為に我が身を犠牲にする女。そうして身を犠牲にし心を狂わせた女を、殺すことで救ってやろうと思う男。これが男女逆だったとしても同じように嫌なんだが・・・。本作でも、主人公・廖淳が曹操軍の兵士に凌辱され気のふれた愛する義姉を手にかけるシーンが冒頭に描かれていて、ちょっと・・・萎えた。

 ・・・とは言え、劉備一味のキャラクター造形が面白く(『蒼天航路』と似ているとの指摘もあるようだけど、私は読んだことがないのでよくわからない)、それをスパイスにしてストーリーを楽しむことができる。

 武侠の頭から計算高く周囲を利用してのし上がってた劉備は、侠気あふれるカリスマであるが、その実、智恵も武勇もない戦下手。圧倒的な武勇を誇る関羽は、傲慢で狭量で、とてもじゃないが兵を預かり軍を動かす将の器ではない。人間味があり関羽よりいくらかマシだが、やっぱり将としては物足らない張飛。四角四面な趙雲。怪物的な知能+元来のSっ気に加え、民を救おうとした叔父を民に殺された過去のいきさつにより心の壊れた、ある種の冷酷さを持つ(その冷酷さを自覚する故に、情に傾きがちな劉備にはできぬことを背負う覚悟のある)諸葛亮。

 黄巾の子として生まれ、戦乱の中で劉備に拾われた廖淳は、一味の中で成長し、戦に駆け周り、多くの人を、国を知り、そして想う・・・人は何によって生きるのか・・・。

 廖化の想いが、綺羅星のごとき英雄たちの去った後に残された劉禅の内に穏やかに結実したことを語るラストが、切なくほの温かい余韻を残す。



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2012年11月12日

戯史三國志 我が槍は覇道の翼 : 吉川永青 

『戯史三國志 我が槍は覇道の翼』 吉川永青

 「戯史三国志」二作目の主人公は孫家三代を支えた武将・程普。第一作『我が糸は誰を操る』より格段に興奮度が高いのは、登場人物がアツい武闘派揃いだからか、作者の筆に強さと余裕が加わった為なのか、それとも程普が孫堅を好きすぎるせいなのか。

 程普と孫堅が黄巾と官軍の将としてまみえるところから赤壁の戦いまで・・・話は少し駆け足で進む。快男子・孫堅に惚れ、その大望の一翼たらんとして駆けまわった程普らアツい漢たちのストーリー。


 長沙の太守となった孫堅が勢力を拡大する手始めとして、自分を軽く見る荊州刺史・王叡への示威も兼ね、叛乱の首魁・区星を奇計を用いて討つくだり 〜 礼服を纏った孫堅と旗下の黄蓋、韓当、程普が、大剣、薙刀、槍、それぞれの得物を手に区星の軍勢に躍りこんでいく。これ、確信犯的なサービスシーンだよねぇ・・・「荒くれ男」+「礼装」+「武器」というシチュエーションにモヤモヤと疼いてしまう・・・“そういう”人たちへの。孫堅たちの礼装は、刺史を迎える宴のためでもあろうし、乱戦の中で味方の弓兵に誤射されるのを避けるためだったとか、もっともらしく書いてあるけど・・・ねぇ。何だかニヤニヤしてしまうよ。

 サービスといえば、曹操の悪食も。「蟻の天日干し」「羊の脳の塩漬け」「蝉の煮つけ」など、好物のゲテモノが詰まった瓶を嬉しそうに持ち歩き、他人にウキウキと振る舞っては迷惑がられる曹操。これも、完璧すぎる感じのする曹操への愛すべきキャラづけ、なのかな。

 孫堅のことが大好きすぎて、なかなか孫策と思いがかみ合わない程普。周瑜との心情的な確執もあり、孫策時代には熱血度は少しトーンダウンするが、志半ばにたおれた孫策の跡を弟・孫権が継ぐと、己が非を悔い改めた程普が、老骨に鞭打ってまたも激しく燃える! 孫権ってどうも孫堅や孫策に比べて見劣りするってイメージがあったんだけど、本作では、老いて頑なになった程普をふるわせるほどの大器。切れ者であるだけでなく情にも篤く、歴戦の荒くれ武者たちを心服させ従えるのだ。孫権、いい役もらった。

 ところで、一本気な程普から見れば、まわりの色に合わせて自らの色を変えながら、じわじわと周囲を蝕む劉備は「毒蛙」。藤水名子の『赤壁の宴』で、周瑜が劉備を評して言った「戦場ゴロ」にはかなわないけど、これもかなり辛辣な劉備評。




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ラベル:三国志
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2012年10月25日

戯史三國志 我が糸は誰を操る : 吉川永青

『戯史三國志 我が糸は誰を操る』 吉川永青

 董卓軍に攫われた少女・張鈴を救出しようと頑張る若き陳宮。救出はままならず、焦りばかりが募るある日、陳宮は張鈴と再会する。しかし、何者かとの情事の直後であるらしいしどけない姿の張鈴は、己の無力を詫びる陳宮を罵り、残酷な言葉を投げつける。変わり果てた張鈴に失望し、嫌悪を抱く陳宮。張鈴に抱いていた淡い想いは、一瞬にして深い怨みと殺意に変わる。

 ・・・それって要するに、

 「そりゃ、助けてあげられなかったけど、俺なりにものすごく頑張ったのに! その俺様の頑張りを思いやることもできないのか! 少しは感謝しろよ! オマエ、ひどすぎる! キ〜ッ!」

 ってことよね? 相手は無理やり董卓の妾にされ、散々な苦痛と絶望を味わった少女ですよ。・・・う〜ん。物語の序盤で見せつけられてしまった主人公・陳宮の、この「・・・サイアク・・・」としか言いようのない小物っぷりが、最後まで払拭できなかった。

 
 董卓が権力を振るう洛陽で、若き陳宮が曹操にその才能を見いだされ軍師となるところから呂布の死まで。曹操のもとで董卓を破滅させる策を練り、己では操りきれぬ曹操の大器を知るや、主を裏切って呂布のもとへと走り・・・主を変えながらも常に己が作り出すべき天下への意志を胸に抱く陳宮。乱世の大陸を舞台に繰り広げられる将たちの駆け引き、ダイナミックな戦いはもちろん面白い、「三国志」だから。

 その中で、覇道や王道を敷く名だたる武将たちではなく、詭道を操る一軍師の生き様を中心に据えたドラマはちょっとダークな刺激と色合いを帯び、「糸をひく者」として生きる陳宮の悲壮な背中には、 “嗚呼、彼もまた乱世の将”とグッとくるものもある。でも・・・どうしても陳宮からは小物臭が消えないんだよなぁ。「俺」と「かつて(多分に独りよがりな)想いを寄せた少女」の問題が、「天下」の問題に直結しちゃってる気持ち悪さとか、陳宮の胸に在って、天下への思いを支えているのが、どうも自分に都合に良い妄想なんじゃないかってこととか。(だって、張鈴が命を捨ててまで伝えたかったことが「陳さん、頑張って」だけなわけないだろう。)

 己が思い描く天下のため、曹操を、呂布を操ろうとして操りきれず、全力をふり絞って策を練るも、結果的に数々の失敗と悔いを重ねてしまった陳宮の生き様を、ラスト数ページですごく清々しくまとめ上げてしまったのが、逆に残念な気がする。後悔を残し、汚れたままに終わらせてあげた方が、陳宮の男が上がったんじゃないかなぁ。





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ラベル:三国志
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2012年09月30日

たむらまろさん : ユキムラ

『たむらまろさん』 ユキムラ

 「坂上田村麻呂」・・・歴史の授業中、征夷大将軍という肩書とあいまって、凛々しく雄々しく猛々しく・・・古代の、というよりむしろ異世界のロマンをかきたてるその名前だけで、ちょっと好きになってしまいそうだった。

 こういうコミックが存在するってことは・・・そんな少女の淡い想い、っつぅか妄想ってのは割と普遍的なものだったのか、それとも、かなりピンポイントなところを狙いすまされたのか・・・。

 有能な上司?に鼻面を引き回され、デキる友人に助けられ、とぼけた部下に足をひっぱられながら、呪いと怨霊に怯えすぎな帝のお世話に日々手を焼くたむらまろさんの日常を描いた宮廷コメディ。

 田村麻呂が心を寄せる蝦夷のアテルイ、モレも後半に登場。人間ではないアテルイと相棒モレ、良いコンビです。そして男前。田村麻呂とアテルイの切ない決別・・・その後の苛烈な運命を予感させます、コメディなのに。

 これ以上お話しが続くと悲しいことになっちゃうので、ここで終わってくれてよかった。




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2012年08月20日

秘帖・源氏物語 翁‐OKINA : 夢枕獏

『秘帖・源氏物語 翁‐OKINA』 夢枕獏

 光の君が奏でる楽の音につられて姿を現わす妖しきものたち。精霊とも、鬼とも、神とも呼ばれる、普通の人には見えないそのものたちを、木や、石や、水や、花といった自然のものと同じように感じ、見る光の君。血の色が透けて見えそうな白い肌と紅い唇、その口もとに浮かべた笑み。何となく、岡野玲子氏の描く『陰陽師』安倍晴明の姿を思い浮かべる。


 賀茂祭見物の折の車争い以来、高熱を出し臥している葵の上に憑いた悪しきもの〜高野の高僧の手にも余る憑物を祓うため陰陽師・蘆屋道満が呼び寄せられる。道満の術によって葵の上の中から現れた正体不明の憑物は、光の君を試すようにある謎をかけて消えてゆく。

 
 謎の答えを求めるべく、蘆屋道満に導かれ、夏焼太夫、虫麻呂、青虫、三人の呪師の手を借りて、都から唐、そして遥か西域の神々の世界をめぐる、美しく冷めた光源氏の大冒険?!。

 冒険の中で語られる、人に祀られた神や仏の来歴、秘密、そして、そのスピーディな展開は充分に刺激的ではあるのだが、光の君一行の眼前を過る神仏の姿 〜 牛頭天王、賀茂祭の猪頭、都の大路を行く百鬼夜行、弥勒菩薩を祀る太秦寺に秘された神、獣の頭を持った異国の王子の神話は、次々と流れゆく車窓の風景のようで、「京極堂の蘊蓄」の長大さに慣れてしまった身体には、何だかあっさりしすぎて物足りなくも感じられる。

 また、蘆屋道満に導かれた光の君は最後に「翁」と対面するのだが、本作品のタイトルでもあり「全ての精霊の王」と総括される「翁」〜能や歌舞伎といった芸能でも多く演じられる「翁」がいかなるものであるのか、その肝心のところが理解できないというか・・・上手くのみこめなかった。

 秦氏の血を引く蘆屋道満が光の君にひきあわせた「翁」。古代史に関する著作も多い哲学者・梅原猛氏の著書に『うつぼ舟I  翁と河勝』というのがある。こちらを読んでみたくなった。




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2012年02月06日

アンドロギュノスの裔 : 渡辺温

『アンドロギュノスの裔』 渡辺温

 渡辺温という青年のことを知ったのは久世光彦氏の著作の中でだった。谷崎潤一郎への原稿依頼の帰り、踏切事故に遭い亡くなった夭逝の作家 〜 久世氏の文章を満たしていた、その人物と作品への愛情と哀惜の想い。・・・とても気にかかり、いつか読もうと思っていた。


 眩い灯りと西洋風の文化に彩られながら、まだそこここに薄暗い路地や闇を残した東京の街。その街を洒落た身なりで歩く紳士。内気ではにかみ屋の青年。断髪のモダンガール。したたかで可愛らしい街の女。森や海辺のお邸に、また場末のみすぼらしい部屋に暮す病身の娘。

 都市の気分、時代の文化をふんだんに纏った男女が演じるドラマ。ユーモアと機智の中に少し効かせた悪意。都会風の感傷。新しい文化が次々と花咲く都会 〜渡辺温青年自身、その中を意気揚々と歩いたであろう、都市の空気を感じさせる作品群。中でも、人の内面を映像化したかのようなシュールで迷宮的な物語「父を失う話」の奇妙さが印象に残った。

 それにしても、これらの都会的で、若々しい才気と向う気を感じさせる作品を読むと、その作品に刻まれる青年のままの作者の姿は、何か残酷であるように思われる。




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2011年04月15日

仏像のひみつ ・ 続仏像のひみつ : 山本勉

『仏像のひみつ』『続仏像のひみつ』 山本勉/イラスト・川口澄子

 仏像界の組織、仏像のしぐさ、服装、体型、素材、仏像の体内について、『続〜』では、もう少し踏み込んで仏様の周辺にいらっしゃる仏以外〜人、神、動物などの像について、専門用語を使わず易しい言葉で語られる。

 仏像の姿からその仏様が組織のどのあたりに属しているのかがわかり、素材や体型の特徴からいつの時代に作られたのかが推測できる。仏像を見る上で基礎となる知識を少し持っていることで、その先にあるものへと興味をすすめることができる 〜 仏教の考え方だとか、仏像に込められた人の想いとか。

 衣服を脱いだ仏像の裸体を見せてしまうという奇抜なこともやりながら、語り口はとても易しくて抵抗なくのみ込めるのだけど、難しい漢字の並んだ仏の名を呼ぶことに快感を感じたり、仏が結ぶ秘密めいた印相に興奮したりする向きにはもの足りないところもあるかもしれない。

 そういう私も、仏像そのものというよりも、『仏教という宗教がつくりだした、さまざまなお話のキャラクター』としての仏像に魅かれてしまう方なので、仏像単体のひみつよりも、彼らが属する物語の秘密の方を知りたいと思ってしまうのよね〜。

 物語のキャラクターとしての仏像という見方をするなら・・・
こういうの↓もアリかもしれない。買ってみようかな。





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ラベル:仏教
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2011年03月08日

かくれさと苦界行 : 隆慶一郎

『かくれさと苦界行』 隆慶一郎

 神君家康公より吉原創設にあたって惣名主庄司甚右衛門に与えられた「神君御免状」をめぐる、吉原者と裏柳生の壮絶な闘いを描いた『吉原御免状』の後に続く物語。

 「御免状」に記された家康の秘密、中世の漂白の民〜“無縁の徒”傀儡子族の“最後の砦”としての吉原という驚くべき道具立てを揃え、数奇な運命の下、吉原の未来を託されることとなった松永誠一郎の養父・宮本武蔵を継ぐ二天一流と、柳生義仙率いる裏柳生の暗殺剣の対決を描いた前作の一種の爽快さに比べ、本作にはかなり暗く陰惨な雰囲気が漂う。

 誠一郎との闘いに敗れ右腕を失い、復讐の鬼となった柳生義仙、「神君御免状」を奪わんと義仙を操り執拗に吉原を狙う老中酒井忠清と、吉原の惣名主となった誠一郎はじめ幻斎ら吉原者の果てしない暗闘に、柳生を守る怪物のごとき巨人・荒木又右衛門まで加わって、繰り返される闘いは、その意味さえ覚束ない、ただ無惨に多くの人が死ぬ泥沼の如きものとなる。

 そんな男たちの闘いを描く作者の言葉は、一つ一つがヘヴィメタルな肌触り。例えば、ズバンとストレートに使われる『身震いの出るような恐ろしさ』という言葉。その一撃が重い。その一言を叩きつけられると、本当に本の中から迫ってくる恐怖の感触に身震いがする。言葉の底に刻まれる、重機械が唸るような重く、強く、激しいリズムに、残酷な運命を美しく哀しく生きる女たちのドラマが絡む。

 私は、『花の慶次』を読んでいないのだが、隆慶一郎氏の小説が持つ感触に、原哲夫氏の絵はとてもよく合うのかもしれないと思った。


 前作を読んだ時、いくら人を斬っても曇らない野生の獣のような清々しさを保つ誠一郎を、未だ“人”にならない童子のようだと思ったのだが、本作では、“人”になっていく誠一郎の苦しみが胸を抉る。繰り返される戦闘の中で、一度は死んでしまう誠一郎の無垢な心。それでも、周囲の思いに守られながら、稀有な魂を持つ男として再生する誠一郎の姿に熱いものがこみ上げる。

 しかし、前作『吉原御免状』から、主人公・誠一郎以上に私の気にかかるのは裏柳生の総帥・義仙だったのだ。誠一郎の敵・仇として登場してしまったために、すべての悪を背負い、ことごとく貧乏くじを引かされた義仙が何か気の毒で、どうしても悪役として嫌うことができなかっただけに、誠一郎との長い闘いを経て義仙が到った境地に、そっと手を合わせたい気持ちになった。


『吉原御免状』感想 http://blogs.dion.ne.jp/sweet_pea/archives/9687870.html

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2011年02月10日

SENGOKU : 山科けいすけ

『SENGOKU』 山科けいすけ

 ここ数日、ちょっと気持ち的にしんどいことが続いてて・・・ 手元にある本、マンガ類の中で、今はこれしか読む気がしなかったの。

 “とにかく私を笑わしてくれ・・・”

 すがるように手にとって、巻頭の登場人物紹介で早くも“ぷっ”っていってました。あ、そう・・・みんなバカなのね。

 織田信長:尾張のジェノサイド鉄砲バカ
 上杉謙信:越後の真性戦バカ一代
 明智光秀:インテリ神経質バカ
 松永久秀:悪逆謀反バカ

 ・・・とかはいいとして
 
 お市の方:信長の妹バカ
 浅井長政:信長の義弟バカ

 って、ほぼ言いがかりじゃん(笑)

 というわけで、戦国武将たちみんなバカなわけですが、何か意外とぉ・・・ちゃんとしてるわけですよ、マンガの中身は。

 私、これまで読んだ戦国時代モノの小説なんかで頭がごっしゃごっしゃになってたのを、このマンガでスッキリ整理できましたもん。

 ま、みんなバカなんですけどね。



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2010年11月29日

のぼうの城 : 和田竜

『のぼうの城』 和田竜

 石田三成率いる圧倒的大軍に小勢で立ち向かい唯一落ちなかった城〜総大将はでくのぼうの“のぼう様”。

 “忍城は落ちない”と分ってるから安心して読める。ってこれ、いいことなんだかどうだかよく分らんけど。地の文も武将たちの話す言葉も、とても現代的にくだけているので、時代がかったトリップ感を味わうことはできないけれど、損得勘定なんて蹴っ飛ばして心のままに立ち上がる“も〜、馬鹿ばっかり!”な男達の戦ぶりは爽快で格好良い。(“のぼうマジック”によって、武将たちの自己満足に、いいようにまきこまれてしまった領民は気の毒だが。)

 ストイックな猛将“漆黒の魔人”・正木丹波、豪快で腕力先行な柴崎和泉、小生意気だけど実は頑張り屋で憎めない若造〜毘沙門天の生まれ変わりな僕ちゃん・酒巻靭負。それぞれにキャラのいい忍城の武将たち。“漆黒の魔人”が咆哮し、朱槍を横殴りに一閃すると敵方の首が一気に五つも宙に飛ぶというアニメ的な見せ場も・・・フフ、嫌いじゃありません。

 これ、実写映画よりむしろアニメの方が良くね? 萬斎さんの“のぼう様”はもの凄く楽しみではあるけど。

 ・・・“のぼう様”・・・晴れ晴れと終わるお話の中で、彼だけが・・・最後まで得体が知れない、そんな一抹のどす黒さを残すのですよねぇ。何事にも不器用で、ぼんやりとした顔をして、領民には迷惑がられながらも慕われ、自己主張の激しい武将たちをもなぜか惹きつける“のぼう様”。穏便に開城するという道もあったのに、彼の純粋すぎる一言が戦の口火を切ってしまう。

 ただ心のままに振舞う赤子なのか、人を人とも思わぬ悪魔なのか 〜どちらでもあるし、どちらもあたらない・・・。誰も“のぼう様”を理解していないのに、誰もが“のぼう様”の思う通りに動いてしまう。到底、底の知れぬ男。



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2010年10月28日

歪み真珠 : 山尾悠子

『歪み真珠』 山尾悠子

 蜃気楼というのは巨大な蛤が吐き出した気が形を成した楼閣だというけれども、ここに収められた掌編の数々も、まるで巨大な貝の見る夢があふれ出して生まれた世界であるかのようだ。

 石の台座に乗り荒野を通過する美神。人魚を殺す娼婦。水源地への途上の橋に佇む橋姫。視界の隅を侵す天使。禍々しい受胎告知。夜の宮殿で豪華な食事を食い散らかし、大理石の糞をする女王。「悪魔の誘惑を受けた聖者、というひとことで止め処もなく妄想が膨らむ者たち」・・・ははは・・・私もその一人かも。

 神々しく、怖ろしく、しかしどこか可笑し味〜すべてをつきはなして笑うユーモアを含んで。

 巨大な貝の夢が産んだ歪んだ真珠。そこに封じられた世界はあまりに純潔で、汚れた指で触ろうとすると途端に変色してどろどろに崩れてしまう。少し力を加えるとパリンと砕けて散ってしまう。

 侵し難く純潔な世界。しかし、その世界を囲む結界は、背後にど〜んと威容を誇るこの真珠を派生させた原典のゆるぎなく重厚な気配の前では、時に少々頼りなく、あまりに繊細・・・とも映る。

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2010年09月09日

吉原御免状 : 隆慶一郎

『吉原御免状』 隆慶一郎

 赤子の頃より肥後の山中で宮本武蔵に育てられた剣士松永誠一郎。二十六になった年、養父武蔵の遺言に従い、江戸・吉原に辿り着いた誠一郎を、身に覚えの無い無数の殺気が取り囲む。何故、自分は吉原へ送り込まれたのか。この地には何があるのか。

 「吉原御免状」なるものを巡る、吉原者と裏柳生の暗闘。奇抜な着想のもとに描き出された驚くべき吉原の姿もさることながら、何と言っても、二天一流の誠一郎と柳生義仙率いる裏柳生の一団との剣戟に興奮する。どんな手を使っても相手を斃す柳生の暗殺剣、人を斬っても陰りを帯びることのない誠一郎の清々しい剣、黒白はっきりとしたぶつかり合いに加えて、吉原で誠一郎を導く不思議な老人・幻斎の異形の刀術。豪華である。

 次に目を瞠るのは、世間の全ての縁から放れ、死と隣り合わせの自由を生きる「無縁」の徒、世俗の権力の及ばぬところで、かつては国々を自由に往来した漂白の民、諸芸に秀で、遊びに馴染んだ傀儡子族によって作られた、遊興の街にして、いざというときには戦闘も辞さない城塞となる異様な吉原の姿。  

 ところで、その吉原での数々のしきたりや、風俗、生活の様子などが語られる中で、男とのコトにあたっての、吉原の女たちの努力・工夫・技が礼賛されるのはいいとして、吉原の外の地女(素人)や現代の女たちの無造作・無頓着ぶりが苦々しげに書かれているのは余計なことではないか?

 話がずれかけたが・・・ その吉原の女たちに悉く惚れられる誠一郎・・・姿がよく、心は純粋で、しかも天才的な剣士であるが、“女”に対する“男”という感じがしない。いや、“男”であるどころか、未だ“人”になっていないという気すらする。幼い頃より獣を相手に山中で育ち、寂しさ、辛さ、痛みや、自然の快さは知っていても、恨み、憎しみ、怒り、喜びといったものを未だ知らぬ、あまりににも無垢な童子。

 この童子の如き誠一郎の“きれいさ”を守るかのように、身を擲って誠一郎に尽くし、闘う吉原者。敵役の義仙ですら、物語の中で、誠一郎をあくまでもきれいなままに保つ為に、全ての悪と醜さを一身に背負わされてしまったようにも見えて、何だか気の毒である。

 柳生の手から「吉原御免状」を守った誠一郎は、この先も吉原を守り続ける為、自ら修羅に落ちる決心をする。修羅に落ちた無垢な童子は、どのように“人”になっていくのだろうか。続編『かくれさと苦界行』で味わえるだろうか。



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2010年07月20日

蛇−日本の蛇信仰 : 吉野裕子

『蛇―日本の蛇信仰』 吉野裕子

 私が読んだのは文庫版ではなく、「ものと人間の文化史」というシリーズで法政大学出版局から出ている1979年発行のものです。この後に読む予定の本の為に、日本文化の中での『蛇』とはどういうものなのか知りたかったのです。

 日本の信仰・祭祀は大陸の陰陽五行思想を色濃く取り入れ、七世紀後半に『一種の宗教改革』とも言える大きな変革を遂げているとした上で、その変革以前の古代日本の信仰の中心を「蛇」であるとする論考。 

 古代日本人を驚嘆させ、畏怖の念を抱かしめたであろう蛇の生態(強靭な生命力を思わせる特異な形状、濃厚な生殖、“生まれ変わり”を連想させる脱皮など)に関する記述から始まり、蛇を指す古語「カカ」への目配りをしつつ、「蛇」に見立てられたもの 〜 植物(形態の類似からの連想)、鏡(=蛇の目)、鏡餅(=とぐろを巻く蛇の姿)、案山子(=山の神、穀物神としての蛇との関連) 〜 への言及、そして、各地の民俗、伝承、祭りなどに見つけ出すことのできる「蛇」の姿、そこに込められた思想へと推理・考察が展開される。

 各地に伝わる祭りや奉られるもの 〜 その由来、元々の意味が見失われていたもの、事柄について、改めて「蛇」との関連を見出したことは大きな意味のあることだと思うが、一方で、それらのもの、事柄が「蛇」以外のものに由来、関連する可能性について殆ど触れられていない為、多少、論の展開が強引であると感じるところもあった。

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2010年04月07日

サカモト : 山科けいすけ

『サカモト』 山科けいすけ

 数年前に出版されたコミックを再編集して文庫化。あからさまな“龍馬ブーム”便乗刊行らしい。オビにちゃんとそう書いてある。

 「だはははははは・・・・」な幕末4(8)コマ。ワタクシ、一方ではちょうど『竜馬がゆく』を読んでいる最中で、並行して読むと何だかバランスがいい。

 ギャグ絵柄になっても、みんな妙にナルシスティック。自分大好きな男たち。西郷さんなんか自分の金○にぞっこん。

 しかし、高杉さんのテロリストぶりには笑ってばかりもいられない深さを感じますよ(笑)。とにかく人が斬りたい沖田にもね。

 ワタクシ的には“用心深すぎる端正なデブ”桂小五郎がツボ。



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2009年12月28日

虎と月 : 柳広司

『虎と月』 柳広司

 父は虎になった―。中島敦『山月記』に想を得たミステリー。

 なぜ父は虎になってしまったのか? その謎の答を見つけるために少年は一人旅に出る。

 答を得るために選ばれるべき正しい問い。名付ける、または名を知るということ。言葉によって認識される世界。世界を規定する言葉。虎になった父の謎を探る少年の旅は、そんな言葉をめぐる旅でもある。

 不思議な体験に満ちた旅の終わり、虎となった父・李徴が遺した一篇の漢詩は、少年の前にそれまでと全く違う姿を現す。

 
 『山月記』を出発点としているが、そのことを意識しすぎると、互いの世界を損ないかねない。当たり前のことではあるけれど、全く別の独立した作品としてその結末を楽しむべきだろう。

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2009年07月14日

茜新地花屋散華 : ルネッサンス吉田

「茜新地花屋散華」 ルネッサンス吉田

 Amazonのレビューがどれも高評価だったので、興味をそそられて読んでみたが、いやはやこれが私の手には余る子で・・・。


 架空の花街・茜新地。開高十三はその街の売春宿の店主であり、高校生である。

 開高十三と、十三の後輩・深沢、深沢の幼馴染・埴谷・・・不定形に漂う私〜その存在すら未だ不確かな三人の魂。自分という存在をこの世に繋ぎとめてくれる何ものかを求めて交わされる濃密な想い。

 「俺って何?」「愛って何?」「愛を得られない孤独に俺は耐えられるの?」という、美しくも、ど〜しようもない福永武彦的青少年の苦悶。

 活字量が非常に多い。観念的な言葉があちらこちらにずるりずるりと綴られる。

 そんならいっそ漫画じゃなく散文で書いてくれればいいものを・・・と、途中ページを捲る気持ちが萎えることも無くはなかったが、それでも読後、開高、深沢、埴谷たちの魂の感触が、掌に残っているような気がして気にかかり、読み返してみようと思うのだが、もう一度手に取ろうとすると、奴は本棚の隅からピリピリとしたオーラを放ち「私に触れるな」と言ってくる。本当にムズカシイ子だ。



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2009年04月02日

持統天皇―日本古代帝王の呪術 : 吉野裕子

「持統天皇―日本古代帝王の呪術」 吉野裕子

 草壁皇子の静かな悲しみを描いた、梨木香歩の「丹生都比売」あとがきに、「母帝に殺される皇子」という着想を与えてくれた書として本書が紹介されていた。


 天智・天武・持統らが活躍した時代の日本は、陰陽五行の思想を政の原理とする世界だったいう古代史観の下に、壬申の乱前後〜持統天皇の治世までを考察した本書。

 強烈な権力への志向を持ち、夫の後を継いで皇位につくことにこだわった鵜野讃良皇女=持統天皇の性質、人格形成についての記述には多分にロマンティックなところもあり(過酷ともいえる生い立ちや、額田王をめぐる父・天智、夫・天武の関係など・・・)、“何か、少女漫画みたいなんですけどぉ・・・”と思わなくも無い。

 しかし、全体的には淡々とした筆致で、鵜野讃良皇女=持統天皇が、政治的に重要な局面のことごとくに施した呪術的な策を明かしながら、そこからの必然的な結論として「母・鵜野讃良皇女による、子・草壁皇子の殺害」を説く。

 古代社会を成り立たせていた世界観と、その世界観を巧みに操って自らを輝かせた女帝の存在感に圧倒される。

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2008年12月24日

イブの夜に吉川英治「三国志」読了

「三国志」 吉川英治

 何とか年内に読み終えることができました。

 私の先入観を次から次へとぶっ潰してくれた物凄い物語。

 劉備、即ち仁君。清き心と高い志を持ったヒーロー劉備像を期待する思いは、読み進めるほどに「!?!?!?!?!?!?」に埋め尽くされていく。予想を超えすぎてる劉備の言動に、まさに口あんぐり。結局、劉備とは三国志一胡乱な男であった。

 「俺はいつか大きなことをする男だ!」っていう根拠の無い夢を見て、地道な仕事を放り出しちゃった割りには、智もない勇もない、努力もしない。危機に際しては、「とりあえず俺さえ無事なら後はどうにでもなる」とばかりに、妻子も部下もうっちゃって一人すたこらさっさと逃げ落ちる(義兄弟でさえ置き去りですよ!)。面倒臭そ〜うなことには謙遜を装って頑なに関わろうとしないし・・・事なかれ主義の凡庸な男にしか思えないんだけど。しかも、この乱世、戦乱の世に「ぽっちゃり体型」ってどういうこと?

 どうなの? これ? 私はものすごく・・・なんと言うか、意外っていうか・・・裏切られた感でいっぱいだったりしたんだけど・・・三国志好きの諸先輩方はどう感じておられるんだろうか?


 それでもあれだけの英傑たちを心酔させたってことは、かなりエキセントリックなオヤジ 〜 何らかのカリスマ性はあったってことなんだろうな。関羽や張飛は思い込み激しそうだから、劉備にハマっちゃったのも何となく納得できるんだけど、なんであの思慮分別のある爽やか青年・趙雲子龍までが・・・。謎。

 しかし、劉備のカリスマも諸葛亮孔明の登場とともに徐々に薄れていく。孔明 〜 劉備の遥か上を行く曲者、腹に一物も二物も三物もあるとしか思えない男。彼の登場以来、劉備はただ王の冠を被せられ、奉られ、政からも、有能な部下たちからも遠ざけられ・・・。膨大な脳の容量を持つ腹黒い孔明に上手く利用されてる感じが・・・するよねぇ。関羽なんて、彼を煙たく思ってた孔明に見殺しにされたとしか思えない。生体コンピュータみたいな孔明に、関羽が窮地に陥ることが予測できなかったとは思えないものねぇ。

 何か・・・蜀の国は・・・得体が知れなくて・・・コワイよ。

 蜀の気味悪さに比べたら、魏の曹操は「乱世の奸雄」とは言いながら、やはり才能も人間的魅力もある紛れも無い英雄だし、呉の孫家三代なんて堅実に国づくりをしたすっごく真っ当な人たち・・・だと思ってしまうなぁ。

 でも・・・劉備が本当に清く正しいヒーローだったら、大して面白い話とは思わなかったかも。あんまり劉備が変だから、ついつりこまれて心の中でつっこみ入れながら楽しく読んだんだよなぁ。

 
 つっこみ所、広げどころがいっぱ〜いある上に、物語としてはがっちり骨太な世界観がある。こりゃ、沢山の作品、商品を派生させるのももっともだと深く納得いたしました。

 ・・・で、私、今更ですが「鋼鉄三国志」が物凄く見てみたいんですけど・・・。

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ラベル:三国志
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2008年04月30日

ヤマトタケル : 山岸凉子/梅原猛

「ヤマトタケル」 山岸凉子/梅原猛

 スーパー歌舞伎でも上演された梅原猛氏の戯曲を原作に、英雄・ヤマトタケルの物語を山岸凉子が漫画化。

 戯曲・歌舞伎とは、かなり設定やヤマトタケル=小碓命の人物像が異なっている部分があり、話としては別ものと思った方が良いかもしれない。

 山岸氏による漫画版のヤマトタケル=小碓命は、気は優しくて力持ち、胸板厚く、肩や腕の筋肉も隆々とした男性として描かれていて、“これじゃ女装は無理だろう・・・”と気をもむ。案の定、熊襲襲撃の時は従者タケヒコが女装役。命様の女装姿は拝むことができなかった(厩戸ばりの女装姿を期待していたのだが・・・)。

 双子の兄とは違い、父に顧みられる事の少なかった小碓命の父恋いがキーになっていて、悲劇の英雄譚として感動的にまとまっているんだけど、歌舞伎の舞台のスペクタクルや、梅原氏の戯曲で描かれる濃く、荒々しく、小さくまとまることの無く、文字の中からはみ出してきそうなキャラクターのパワーを体験した後では少し物足らなくも感じられる。

 小碓命、弟橘姫、倭姫、タケヒコ、ヘタルベ・・・このあたりの主要キャラクターたちに、戯曲や歌舞伎の舞台で感じられた複合的な魅力が少々欠けるんだよなぁ。ストレートに好青年だったり、ひたすら純真で可愛い姫であったり、物分りの良いやさしい叔母だったり・・・。

 でもね、華やかな衣装をまとって繰り広げられた歌舞伎の舞台上の夢見心地とも、梅原戯曲から強烈にたちこめた土と人の臭いとも違いはするけれど、山岸氏の描く小碓にしか無い魅力もあって・・・。それが、若き皇子の健やかな心と、その心をくもらせる悲しみの対比。数々の戦いを勝ち抜いてきた頑強で美しい肉体がついに破れ滅びる時の衝撃。肉体派の命様だっただけに、その美しい肉体が失われる!という悲しみはひとしお。


 余談ですが・・・私、ヤマトタケルのキャラクターっていうと、ゆうきまさみ「ヤマトタケルの冒険」の小碓が好きなんだよなぁ。自由奔放な少年皇子。政治的な謀に無縁でさっぱりしているが、少々性格破綻気味。女好きで女にモテる。自分の都合次第で暴力に訴えたり、卑怯な手を使うことも厭わない。こういう奴が英雄譚の主役ってとこが何とも。

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2008年03月05日

おぼろ探偵帖 : 山田章博

「おぼろ探偵帖」 山田章博

 『いかにも俺は化け物の先遣(さきやり)夜雀だよ』

 怪しげな稼業の不細工な爺とそのアシスタントで一筋縄じゃいかない美少女。そんな二人に関わって、事件に巻き込まれる化け物の先遣・夜雀 〜 「紅色魔術探偵団」と似たような三人組がどったんばったんやってる内に事件が一つ解決してしまう、ナンセンスと言えばナンセンスなお話。(「紅色〜」はどこか大陸的なお話。「おぼろ〜」は和風、明治の東京が舞台です。)

 これは「読む」んじゃなくて「感じ」て楽しむ漫画。“江戸の面影残る明治の東京”なんていう見た事もない幻のくせに懐かしいような眺めとか、夜の川風とか、その辺に蹲ってる正体不明のものとか・・・。日本髪の姐さん方の流れるような着物姿、夜雀の大胆で洒落た着物のデザイン。

 そんなものを眺めて、感じて、楽しむ。これは怪談だから、夏の蒸し暑い夜に読めば良かった。

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2007年11月14日

天の果て地の限り : 大和和紀

「天の果て地の限り」 大和和紀

 日本が国家としての形を整えようとしている時代・・・多くの血を流し、悲劇を生みながらも激しく駆けた中大兄皇子と大海人皇子兄弟。二人の皇子の心をとらえ、また自らも皇子たちの激しい愛に、生き方に心乱される美しき巫女にして歌人・額田女王。

 才能と力に溢れた美しい男から、熱い熱い想いを込めて抱きしめられる華奢で美しい乙女・・・。そんな愛しい想いの迸るシーンが強く焼きついているせいか、私はこのお話を皇子たちと額田女王のラブロマンスとして記憶していたのだけど、読み返してみると、これは古代を舞台にした熱く切ない青春群像を描いているのだった。

 炎のような兄・中大兄と豊かな水のような弟・大海人、中大兄を信じ、愛し支え続けた鎌足、皇子たちと共にあり愛し、愛された額田女王。激しく揺れる時代の中であるいは燃え、あるいは駆け、あるいは悲しく散った命。生まれたばかりの、若い日本の国とともにあった「青春」。 

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2007年04月24日

柔らかい個人主義の誕生 : 山崎正和(その2)

「柔らかい個人主義の誕生―消費社会の美学」 山崎正和

 昨日のつづき・・・

 歴史的には、個人主義→自己中心主義ととらえられ、そういった側面の肥大が危惧、悲観されたこともあるようだが、「消費する自我」が成熟していく先に、孔子の言う「心の欲するところに従いて矩をこえず」の境地−「個人の自由と平等を侵害することなく、社会の秩序と安定の仕掛けを守る」ことを可能にする道がひらけるかもしれないことが、山崎氏によって可能性として語られている。

 しかし、個人主義がそのように成熟する間もなく、この評論が発表された直後の80年代後半からはバブル景気−バブル崩壊−失われた10年−と大きな波に個人が翻弄されてしまった。

 この評論が書かれてから約20年・・・個人主義の在り様は、山崎氏が本論で分析されたものより退行しているようにも感じられる。ここから新たに成熟を目指していくことはできるのか? 本論以降20年間の変化についての良い同時代論があれば、読んでみたいと思う。

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2007年04月23日

柔らかい個人主義の誕生 : 山崎正和(その1)

『高校時代の宿題を終わらせる計画 その2』として、山崎正和「柔らかい個人主義の誕生」読了。

 1960〜70年代に起きた社会的変化、大衆社会の変質を観察・分析し、現代社会での大衆の個人としてのあり方とその可能性を考察した同時代文化論。

 読み終えての心の声・・・“ちゃんと高校時代に読んでおけば良かった〜〜!!”

 「自我」とか「『私』とは何か」っていう問題は、私が高校生の頃からずっと苦手としてきたところで、今では「人間一生糞袋」とうそぶいて人生をやりすごしたい・・・などと思い始めているが、この評論をもう少し若いうちに読んでいれば、その考えは少し変わっていたかもしれない。


 本論では、70年代以降の社会を、そこに兆した社会的変化から「脱産業化社会」と位置づけ、そこに現れる個人の「自我」が、それまでの「生産する自我」から「消費する自我」へと移っていくことが示されている。

 少し長くなるが、「生産」と「消費」について・・・

 ここで言う「生産」とは、ある「目的」を限定し、その「目的」を時間的にも手法的にも最も効率的に達成しようとするスタイルであり、「生産する自我」とは「自己を生産の目的として、また手段として限定した存在」・・・目的達成の為に全てを能動的に操作する完全な主体であり、「自らを完全に知る不可分の統一体」であるとされている。

 また、「消費」とは「ものの価値を消耗すること」ではなく、「目的」に到る時間、過程、手段を重視し、楽しむスタイルであり、だからこそ「消費」的なスタイルでの「生産」もあり得ると定義されている。

 この「消費」の概念を踏まえた上で、「消費する自我」とは「めざすべき目的としての自分の欲望、その目的実現のための手段としての自分を限定しない」自我であり、そこには「不可分の統一体」は存在せず、つねに分裂した存在として自我があるとされている。


 この分裂・拡散する自我を統一するスタイルが、現代における自己の「同一性」であり、そのスタイルを作る努力の中に、現代の個人主義が成り立つであろうことを山崎氏は示されている。

 高校生の頃、私が「自己同一性」という言葉に脅かされ、それを見つけられないままに、早々に逃げ出してしまったのは、本論でいう「生産する自我」のことしか頭になかったからで、当時、先生の薦めに従ってきちんとこと本を読んでいれば、もう少し違った精進の仕方があったかなぁ・・・と・・・

・・・つづく・・・ 

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2006年11月14日

ファースト・プライオリティー : 山本文緒

「ファースト・プライオリティー」 山本文緒

 年齢を重ねてくると、若い頃よりも少し自分のことが分かってくる−“自分のことが分かる”というより“「自分」の取り扱い方を体得する”と言った方が感覚的に近いかも知れない。

 自分が何をすると快くて、どんなことをするのが嫌なのか、自分がどうしても譲れないところは何なのか・・・そんなことが体験的に分かってきて、自分の中での物事の優先順位ができてくると、結構色んなものを捨てるのが苦痛じゃなくなってくる。色んな選択をするのが楽になってくる。

 優先順位がはっきりしていればしているほど、自分の中での物事の選択や判断は楽で、迷いは少ないけれど、その選択・判断が世間的に妥当なものか? とか、周囲の共感を得られるか? といえば・・・それはまた別問題。

 それに自分程度の人生経験で、私なりの優先順位なんて決めちゃっていいの?っていう不安も実はある。

 そんな気持ちに割としっくりくる、三十一歳の登場人物たちの三十一通りの掌編でした。

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2006年04月30日

関西赤貧古本道 : 山本善行

「関西赤貧古本道」 山本善行

 岡崎武志氏・角田光代氏の「古本道場」を最近読んでから、古本関係の本をちょっと続けて読んでいます。今回読んだのは、その筋では有名な?書籍雑誌「SUMUS」にも関わっておられる山本善行氏の古本エッセイ。

 お目当ての古本を安く手に入れることにこだわった氏の古本道。狙うは均一台。一冊100円、三冊200円の山の中から良いものを買う楽しみ、その中にとびきりの一冊を見つける興奮!

 古本好きな人といえば、狙った本は金に糸目をつけずに手に入れる、または無理めな値であっても熱に浮かされるように買ってしまい後でとっても苦労する・・・というイメージをつい持ってしまうのだが、山本氏は欲しいと思った本でも“高い”と思えば(多分、かなりの葛藤の末だろうけど)諦めたり、やむなくちょっと高めの本を買うことになった時には手持ちの本を処分して資金の足しにしたりと、庶民的・・・と言っては何だか・・・ま、そういう感じ。

 ご自分も含めて古本に群がる人たちを、ちょっと引いて見てみると「古本に何もそこまで・・・」と思うこともあるという、その常識的?(この表現もちょっと変だなぁ)な感覚には、古書界の妖怪のごとき曲者たちのエピソードを読んだりした後は何だかほっとさせられる。

 しかし、そうは言っても山本氏も只者ではないのだ! “これ”という本を見つけてからの氏の動きは、すでに脊髄反射の域に達していて、ちょっとでも気になるものを目の端にとらえたら、その情報が脳に達する前に手がその本を掴んでいるという。新刊書店でもその動きが出てしまって恥ずかしいともおっしゃっているが、古書展に集まる百戦錬磨の古書好き達にはその位の動きができないとまったく太刀打ちできないのだそうだ。

 列車の中で古書目録を眺めていて、“お!”という本を見つけて、すぐにでも注文の電話をしたいのだが、生憎、氏は携帯電話を持っていない! 近くに座っている女子高生のケータイを何ぼか借りようと思ったのだけど・・・という話は、ちょっと私にも思い当たることがあって笑ってしまった。テンションあがっちゃって我を失いかけるこの感じ・・・いいなぁ(笑)

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2006年03月31日

深川黄表紙掛取り帖 : 山本一力

「深川黄表紙掛取り帖」 山本一力

 舞台は元禄バブルのお江戸。定斎売りの蔵秀、文師・辰次郎、飾り行灯師・宗佑、男装の絵師・雅乃・・・この知恵者4人の裏稼業が金に絡んだ厄介ごとの始末屋。

 大店が膨大に抱えた余り大豆を始末する顛末が描かれる「端午のとうふ」では、イベントのプランニングから、宣伝、各方面への根回し、イベント当日のトラブルも上手くさばいて万々歳! 原価やコストの計算から人の動かし方が細かに描かれて・・・そうか、蔵秀たちって広告代理店みたいなもんなんだな〜。知恵を武器に、阿漕な商売をする成金商人をやりこめ、豪商・紀伊国屋文左衛門とも渡り合う。老中・柳沢吉保まで登場し、見え隠れするお上の秘密の計画・・・。

 カネにものを言わす大店=大企業と町場の若者の知恵の融合・対決・・・今のご時世にも通じる話だな。

 蔵秀たちのアイデアの面白さ、計算されたストーリーの流れも良いけど、この小説の魅力はやっぱり江戸の活気。町を駆け、川やお堀を船で縦横に行き来する、江戸という町が生き生きと動いているのが感じられる。できれば江戸の地図を脇に置いて町や通りの名前なんか確認しながら読んでみたい。それに、仕事をする以上金ももらうが、結局のところ意気に感じて動いてしまう町場の人たちには、読んでて胸が熱くなった。泣くとこじゃないのに目頭につ〜んとこみ上げるものがあったりして・・・年取ると涙の栓がゆるくなっていかん。



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2005年09月02日

紅色魔術探偵団 : 山田章博

紅色魔術探偵団 山田章博著  ノーラコミックス

 「十二国記」の表紙イラストでもおなじみな山田章博氏のコミック。

 不細工で狡賢いマッド・サイエンティストな爺とその助手でしたたかな自称美少女に、騙まし討ちで魂の契約をさせられたひねくれ小悪魔。3人が成り行きで始めた探偵社には怪物やら宇宙人やら一筋縄ではいかないナンセンスな事件ばかりが舞い込んでくる。

 山田氏の絵の信奉者だった友人に勧められて最初に手にした作品は「百花庭園の悲劇」だった。線を省くことによって出てくる形とか、線と空白のバランス、光と影、イラストとしてはスタイリッシュで視覚的に刺激的だったけれども、コミックとしては話も画面も見づらくて辛かった記憶がある。その後に手にした「夢の博物誌」も綺麗だなとは思ったけど、“大切な一冊”にはならなかった。その綺麗さと格調高さはちょっと私には近寄りがたいものでねぇ。

 「百花庭園の悲劇」は読んでいてあまりコマ割が意識に入ってこなかった。1ページもしくは見開きをひとつのイラストとしてレイアウトされているんじゃないかという気もした。一転、この「紅色魔術探偵団」はきっちり細かく割られたコマの中にフキダシと背景と人物と効果文字がごちゃごちゃと詰め込まれてて見難いっちゃ見難いとこもあるんだけど、1コマ1コマがイラストとしてまとまってる。特に1、2、3話の最後のコマな何か魔法のカードみたいで、単独で保存しておきたいくらい。

 話の方はまぁ、毎度バカバカしいお話でアハハ〜と気楽に読めて、舞台は日本なのか異国なのか絵に描いたような古き良き時代を絵に描いたような作品。

 “大切な一冊”とまではいかないけれど、“お気に入りの一冊”。

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2005年06月16日

ヤマトタケルの冒険 : ゆうきまさみ

部屋は何とか自炊できる程度に片付きましたが、明日から旅にでるため、今度は旅行の荷造りです・・・はぁ・・・。

今日は昔読んだコミックの紹介

「ヤマトタケルの冒険」 ゆうきまさみ 著  発行:みのり書房

 神話にはまることってありませんか? 阿刀田 高氏の「ギリシア神話をしっていますか」他、ギリシア・ローマ神話の翻訳物や解説本の類を数冊読んだ後、目が向いたのが「ヤマトタケル伝説」でした。・・・と言って、古事記を読んだ訳ではなく、上記のようなコミックを読んだり、当時上演されていた市川猿之助のスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」を観たりというようなことをしておったわけですが。

 「ヤマトタケルの冒険」は確か「OUT」というアニメ雑誌に連載されていたものだと記憶しています。友人が私の誕生日に数件の本屋を探し回ってきてプレゼントしてくれました。(今はもうないのですが・・涙)

 ゆうきまさみ氏の大胆なアレンジにより、基本的には軽く・楽しく読めるエンターテインメントになっているのですが、ヲウス(ヤマトタケル)の残忍性や父に疎まれた皇子の悲しみもちゃんと話の中に取り込まれていて、しっかり描かれているなと思います。

 悲劇の英雄の物語を壮大すぎず、重すぎず、あっけらかん!と描いてしまう手腕に脱帽です。

 残念ながら現在は入手が難しくなっています。読むためには古書店などを探すしかありますまい。

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2005年05月07日

「好き」〜 ラヴァーズ・キス : 吉田秋生

「ラヴァーズ・キス」 吉田秋生

 鎌倉の県立高校を舞台にした6人の男女の「好き」という気持ちをめぐるお話。

 「恋愛」というには何か違う純粋に「好き」という気持ちだけの関係というのは、良くも悪くも小さな自分しか持っていない(言い換えれば自分の外に大きな世界がある)10代の頃ならではのものなのかなぁ。

 例えば、このお話の中にでてくる少年がこれから高校を卒業し、これまでよりはるかに沢山の人に出会って誰かに恋をしたとして、そして、自分が好きな人が好きなのは自分ではないと気づいたとしたら、高校生の時と同じように静かに綺麗な涙を流すだけで終わるだろうか。

 「好き」の中には未分化のいろんな気持ちが入っている。「憧れ」「恋」「尊敬」「同情」「所有欲」、ほんのちょっと隠し味として「嫉妬」とかも入っているかもしれない。それを「好き」とまとめて出す潔さは年とともに失われてるような気がしてなりません。

 少年・少女の「好き」のお話の裏には、肉親との関わりもちょっと顔を覗かせています。他人とは「好き」でつながり、「嫌い」で拒絶することができる。でも肉親との関係はそうはいかない。一見仲の良さそうな家族を持つ少女がもらす「あたしはあたしの家族が好きだよ でもだからってずっとあそこにいたいとは思わない 家族だからたまらないこともあるんだよ」という言葉には私も身に覚えがあります。家族がいなければ自分などどうなっていたかわかったもんじゃないんですが、それでも「あの人さえいなければ・・・」という気持ちを持ったこともあります。親の庇護の下にあるときほどそんな風に思っちゃうんですよね。大人になって物理的に離れることによって、気持ちも親の庇護の下を出て行くのでなんとなく今は良好な関係だと思いますが。

 あ〜 私ももっと高校時代に人から「好き」って言われていれば人生変わってたかもなぁ。

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2005年04月03日

自殺されちゃった僕 : 吉永嘉明

「自殺されちゃった僕」 吉永嘉明

 「あっちの世界に行ってしまった人」に興味が持てない。自分だけの世界に行ってしまった人に共感のしようがないし、彼らだって人の共感などにはあまり興味がないから行ってしまったのかもしれないし。一方「あちらの世界に行きたいのに、行くことができずにじたばたしている人」には気持ちを動かされることがある。

 この本のことを書こうかよそうか少し迷ったが、本屋で手にとったのも何かの縁だと思うのでちょっとだけ触れることにした。

 ねこぢる、青山正明氏、妻である巽早紀氏・・・友、兄のようにも思う先輩、最愛の人をたてつづけて自殺で失った吉永氏の手記。青山氏、巽氏、吉永氏はともに編集者・ライターであったそうだが、私は彼らの作品についてはいくつかタイトルのみ知っているという程度で触れたことがない。ねこぢるについても同様。いずれも私からは随分遠い人たちだった。

 人とは違う感性を自負し、人との関わりに関してはある意味不器用で(うまい言葉がみつからない。人との関わりの中での自分より、自分だけが見ている自分に重きを置いた人とでも言うか)しかも自分の望むままに自ら命を絶ってしまった人たち(あくまでも本手記からの印象・青山氏の場合は多少事情が違うようだが)に私は何の共感も持ちようがない。ただ酷い苦しみを味わいながらこちら側に残る決意をした吉永氏には何かしら気持ちが動く(決して共感ではないのだが)。

 2004年に発表された手記に大幅な加筆・訂正をして出版されたものらしいが、文章はところどころ壊れている。



 著者の体験とはまったく次元の違う話だが・・・(ここからはまったく個人的な余談ですよ〜)

 ごく最近、書くことによる癒しの効果を味わった。夫の入院中のこと・・・心に不安があるときは全てのことがストレスになる。友人・知人のお見舞いはとてもありがたかったが、ちょっと負担でもあった。

 手術の日、くたくたになって夜遅く自宅に帰った時にかかってきたお見舞い電話には正直キレそうになった。絶対安静中の夫の部屋にやってきて「元気だしなさいよ」と言って行く親戚には無神経さを感じた。実の親の気遣いでさえ的外れで負担に感じた。

 入院が予定より長引き、不安と疲れとちょっとした対人嫌悪でイライラしていたとき、友人が何とも絶妙なメールをくれた。別にことさら病状を心配するわけでもなく、ただ軽く疲れをねぎらってくれるメールだったがコリコリに凝っていた私の心の力をふっと抜いてくれた。そのメールに誘われるように、私も彼にだらだらとメールを書いた。別に夫の病気のことだけではなく日常のちょっとした出来事などをとりとめなく。

 書いてるうちに悲観的だった気持ちがフラットになっていった。心に疲れがたまったころにまた彼からメールがきて、それに返事を書くことでなんとか平静をとりもどしていた。彼の話の引き出し方もうまかったのだと思う。

 夫も退院し、用心しながらではあるけど平常の生活ができるようになった今、彼にお礼のメールを書かなきゃな〜と思っている

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posted by sweet_pea at 19:58| Comment(2) | TrackBack(1) | 作者名 や・ら・わ行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする