2024年12月20日

進撃の巨人という神話

『進撃の巨人という神話』

 社会学者、精神科医、漫画研究者、漫画編集者、フリーライター、暗黒批評家・・・8人の執筆者がそれぞれの視点から漫画『進撃の巨人』を語る。

 『進撃の巨人』のコミックスはレンタルも交えて全巻読んだのだけど、私はどちらかというとアニメ視聴の方がメインで、連載を追いかけて原作をじっくりむさぼり読んだわけじゃない。ので、劇場版『進撃の巨人』完結編を観たこのタイミングで、改めて漫画『進撃の巨人』がどんな風に読まれていたのか興味が出た。

 作者・諌山創の「絵の上手さ」の質がどういうものであるのか。キャラクターやストーリーではなく作品の「世界観」にこそ作者の愛とこだわりが最も注ぎ込まれていること。『進撃の巨人』の世界観やストーリーはどのように分析、理解できるのか・・・

 漫画読みの巧者、学識豊富な専門家の言葉から『進撃の巨人』がどういう漫画だったのか知ることはできるのだけど、批評・評論というよりも、もう少しライトなエッセイという感じ。『進撃の巨人』という素材に自分の思いの丈をぶち込んだ、何というか・・・二次創作作品を読んでる感触に近いものもあったり・・・


宮台真司 「『進撃の巨人』は物語ではなく神話である」
斎藤環  「高度に発達した厨二病はドストエフスキーと区別がつかない」
藤本由香里「ヒューマニズムの外へ」
島田一志 「笑う巨人はなぜ怖い」
成馬零市 「巨人に対して抱くアンビバレントな感情の正体」
鈴木涼美 「最もファンタスティックなのは何か」
後藤護  「水晶の官能、貝殻の記憶」
しげる  「立体起動装置というハッタリと近代兵器というリアル」
渡邉大輔x杉本穂高x倉田雅弘 『進撃の巨人』座談会


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2023年06月17日

ひどい民話を語る会 : 京極夏彦・多田克己・村上健司・黒史郎

『ひどい民話を語る会』 京極夏彦・多田克己・村上健司・黒史郎

 絵本になったり昔話集などの書物に収められる「ちゃんとした昔話」の陰にはあまり人に知られない「ひどい民話」の数々がある。ネタが大いにシモ寄りのもの。あまりに理不尽、非道なもの。尻切れトンボで結末のない話。

 沢山の人に語り継がれブラッシュアップされた昔話と違い、テレビやゲームのない時代の子供の為の娯楽として囲炉裏端で爺ちゃん婆ちゃんがライブで語った民話は、ウケ狙いで下ネタを連発したり、話を盛ったり、オチを改変したり、面倒になって端折っちゃったりと、かなり荒い。お下品極まりない、理不尽がすぎる、意味不明すぎて恐怖すら覚えたり、ちょっと哀しい気持ちになったりする。そんな「ひどい民話」を持ち寄り、大いに語る。

 持ち寄った「ひどい民話」をまんま紹介する企画ではないし、まんま紹介したとして、「ちゃんとした昔話」ほどの完成度はのぞむべくもないお話しであろうから、この本の見どころ(聴きどころ)は「ひどい民話」そのものではなく、「ひどい民話」をいかに「ひどく」語るかっていう参加者の話術にこそある。それこそ、目を輝かせて話に聞き入る子供たちを前にした囲炉裏端の爺婆のサービス精神もかくや、である。

 無限に話を催促してくる子供たちと、もういいかげんしんどくなってる爺ちゃん、婆ちゃんの攻防がうかがえる話など、それが語られている場を想像してみるとなかなかに生々しい。
 

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2022年05月27日

年刊日本SF傑作選 おうむの夢と操り人形 : 大森望・日下三蔵 編

年刊日本SF傑作選 おうむの夢と操り人形 大森望・日下三蔵 編

 タイトルの「おうむ」という文字を見た時、頭の中に3羽のオウムの姿がポワんと灯った。

 ひとつは我が家の愛娘・オカメインコのほっぺちゃん。もう一つは、いとうせいこうの解体屋外伝を浅田寅ヲが描いたウルトラバロック・デプログラマー〜オウムの姿をした゛解析者”ディアブロ。さらにもう一つが、恒川光太郎竜が最後に帰る場所に収録された一編「鸚鵡幻想曲」に描かれる「偽装集合体」である鸚鵡。

 もちろん、どのオウムもこのアンソロジーには関係ないんだけど、この愛しいオウムたちの姿がなかったら、この本を手に取ることはなかったかもしれない。シリーズ最終巻とのことだが、私はこのシリーズを追っかけていたわけでもなく、オウムに導かれた偶然の出会いだった。

 2018年に発表された『バラエティ豊かな現代のSF最前線の傑作』を詰め込んだ、とあるが、SFに疎い私ではにわかにSFとは気づかないような(それは、ファンタジーだったり、ミステリーだったり、歴史伝奇だったり、パロディだったり)、「S」の在り処を捻った作品が多く、「なるほどこれがSF最前線か!」と思うが、なんだかどうも随分と内輪を向いているように感じる作品もある。

 私が今暮らしている現代社会と作品世界の両方に「S」の在り処を探しながら読む。そんな読書だった。

 収録作の中では、一時期TVでも騒がれた「謎の生物」が登場する斉藤直子の「リヴァイアさん」と、歴史ロマンと音楽の神秘に「S」を埋め込んだ水見稜「アルモニカ」が印象に残った。



 


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2022年04月04日

妖怪馬鹿 : 京極夏彦・多田克己・村上健司

妖怪馬鹿』 京極夏彦・多田克己・村上健司

 「妖怪馬鹿」とは一体いかなる人か? あまりに潔い漢字四文字を見ながら、そう思ったのだ。

 妖怪を調査・研究する? 妖怪を語る? 妖怪を蒐集する? 妖怪を好む? 妖怪を愛する? え?妖怪の何を? 「妖怪小説家」「妖怪研究家」「妖怪探訪家」という肩書を持つこの人たちは何なの? 何をどうすれば「妖怪馬鹿」なの? そもそも「妖怪」って何だっけ? 何だかよくわからない「妖怪」で食えてるっぽいこの人たちって? なんかすごくないか? 妖怪で食うって何だ? そこには何か深淵な・・・?

 ぐるぐるとつまらぬことを考えそうになり「これはイカン」と自分を諫める。ふぅ、と息をついて手にした本を弄んでいたところ、裏表紙に書かれた文字が目に入った。「妖怪馬鹿 ―― 妖怪のことばかり考えている人のこと。」。シンプルだ。

 妖怪話と馬鹿話の間を行ったり来たり。この本はその「妖怪馬鹿」の生態記録(ほんの数時間分の・・・ではあるが)のようなものだと思った。




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2021年09月08日

源氏物語 九つの変奏

『源氏物語 九つの変奏』

 現代の人気作家による『源氏物語』の新たな現代語訳。

 どれも源氏や女君の心理、人間像を際立たせる訳になっているが、設定ごと読み替えた大胆な意訳とでも言うべき角田光代氏の「若紫」、金原ひとみ氏の「葵」には大いに驚く。

 江國香織氏の「夕顔」に描かれる光君は、あきらかに「かかわるとヤバいやつ」であるのに、やっぱりその御姿、人柄はこの上なく優しく、美しく、抗いようのない魅力をたたえる。しかし、どれほど女を愛してみても、彼が抱えているのは満たされない自己愛なのであり、搦めとられた夕顔の命を奪ったのは六条御息所の生霊などではなく、源氏の胸に開いた大きな穴に棲む何ものか・・・なのではないかと思わせる。

 町田康氏が「末摘花」に描く光源氏は、春の朧な空気に漂う『生きるということの根元にあるぐにゃぐにゃしたもの』を感知してしまうほど鋭敏な感覚の持ち主であり、その感得したものを歌や音楽に昇華しうるアーティストであり、真の美と愛の希求者。その研ぎ澄まされすぎた美意識と、鋭敏すぎる感覚で感知してしまうにはあまりに酷な状況を、それでも感知してしまう光君の精神的な狂騒状態。滑稽な文体で笑いにまぶしてはいるけど、かなり怖い。

 島田雅彦氏の「須磨」。配流先での源氏の暮らしを淡々と、しかし重ね塗りをするようにみっしりと描いていく中に、『前庭の花が咲き乱れる夕暮れ時、海の見える廊下に出て佇んでいる源氏』のぞっとするような美しさが浮かび上がってくる。

 桐野夏生氏の「柏木」、小池昌代氏の「浮舟」、原作では自ら語ることの少ない女たちが語り手になることで、物語の新たな姿を見ることができる。


 全編通して印象に残るのは、決して満たされない自己愛に苛まれて生きる源氏の業の深さ・・・でしょうか。





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2021年03月24日

小説集 明智光秀 

『小説集 明智光秀』

 まだ『麒麟』をひきずっております。

 錚々たる作家たちがそれぞれの想像力と持ち味で描く謎多き戦国武将・明智光秀。収められた十二作品のうち光秀の八上城攻めを描いた二作品・・・新田次郎の「明智光秀の母」と岡本綺堂の「明智光秀」には異様な迫力がある。

 殊に、岡本綺堂の戯曲は、騙し討ちに討たれた波多野の妻や妹、また人質として囚われた光秀の母皐月、無念の思いを抱く女たちの恨みの一念凄まじく、攻め手の武将たちを怯ませるほどの女たちの鬼気迫るこの姿、舞台で観たらどれほど背筋を凍らせるだろうとブルブルする。

 あとの十編は『本能寺』前後を描いたもの。

 南條範夫の「光秀と二人の友」は、ふと、魔が通り過ぎるような感触。

 柴田錬三郎「本能寺」は短いスケッチのようなものながら、ほんのり伝奇の香り。

 山田風太郎「明智太閤」は、光秀が天下をとり太閤となった『本能寺』後のパラレルもの?だが、山田風太郎が語るのだから、ただの光秀生存IFではないだろう、どんな意想外のオチが待っているのか?! とページを繰る手ももどかしく読んだのだが・・・。まさか、そのオチとは。一周回って予想を裏切られてしまった。




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2020年07月12日

池澤夏樹 個人編集 日本文学全集 10 〜 能・狂言 説教節 浄瑠璃 その2

『池澤夏樹個人編集 日本文学全集10 能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵 』
 

先のエントリーの続きです

『義経千本桜』 いしいしんじ訳

 いしいしんじ氏の言葉のリズムが心地よく読める。

 義経千本桜は以前『歌舞伎オンステージ』で戯曲を読んだ。その時も思ったのだけど、さすがの名作。バラエティに富んだ場面、ストーリーが、義経を狂言回しにドラマティックに構成された物語。

 で、これ、役者が演じるのではなく文字だけで読むと、義経けっこうヒドイ男なのがむき出しになるような・・・。これまで、「義経、ちょっと酷くない?」って思うことありつつ、歌舞伎で観る分には演じる役者の美しさや儚げな佇まいとかで中和されてたんだけども。

 『伏見稲荷の段』とか、一緒につれていってくれと縋る静を「足手まといで面倒だな〜 勘弁してほしいな〜」って思ってるのありありだし、忠臣・佐藤忠信に『そうだ、おれの姓名をゆずろう』『まさかのときはこの判官になりかわって、敵をあざむき、後代に名をとどめてくれ。』って・・・それ、「俺、逃げるから、お前身代わりよろしく」ってことだよね〜 その上、足手まといの静のことも『万事よろしくはからってくれ』っておしつけて。

 『河連法眼館の段』じゃ、遙々追ってきた忠信に疑心暗鬼でヒステリーを爆発させ暴言の数々、その上、自分は様子見を決め込んで静に手を汚させるようなことを・・・。義経、ほんっと残念だな・・・。

 義経って、知盛や、権太や、源九郎狐や、教経の物語をつなぐ役回りで、がっつり物語の中心ではないけれど、それにしてもこの物語の作者たちは、義経をどんな人として書こうとしたのかなぁ。

 う〜ん、う〜ん・・・

 でも・・・、別れ際に静にかけるひと言が『手紙、送れたら送るぞ、じゃ、またな! 元気でな!』って・・・やっぱり、いしい氏は、義経ってヒドイ男だって意図して書いてるよね。


『仮名手本忠臣蔵』 松井今朝子訳

 現代語の読み物として読みやすく訳されてる。ただ、丁寧に訳されると逆に何か違和感感じるとこもあったり。『幅広の刀を目立たせぬよう、腰から下へ縦に差しております。』・・・ん? あ、落とし差し? とか。

 これもやっぱり役者が演じ、太夫が語るのでなく、文章だけで読むと、忠義の仇討というよりグロテスクな復讐譚っていう側面が気になってくる。(お芝居で観ても、六段目の勘平の精神的追い詰められ感とか、七段目の由良之助のヤバさなんて充分ホラーだけど)。忠義だ、義理だと言いながら必ず誰かが無惨に死ぬ。そして、その無惨な死に美しい名が冠せられる。

 どんな理屈があったとしても、どんな真情が隠されていたとしても、由良之助のやってることはかなりエグい。臥薪嘗胆、堅忍不抜、深謀遠慮などというよりも、もう、サイコな復讐鬼といったほうがしっくるほど。山田風太郎の描くような不気味で複雑な内蔵助が生まれるのも道理だなぁ。 





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2020年07月10日

池澤夏樹 個人編集 日本文学全集 10 〜 能・狂言 説教節 浄瑠璃 その1

『池澤夏樹個人編集 日本文学全集10 能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵 』
 
 浄瑠璃の訳者に好きな作家の名がずらりと並んでいたので興味をひかれた。特に『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』の三大名作は、歌舞伎や文楽でバラバラと観たことはあるけど、通してストーリーを追ったことはないので、まとめて読む良い機会。


『曽根崎心中』 いとうせいこう訳

 いとうせいこう氏、技術的に凝った訳をされているのだと思うけど、それについては私はしっかり読み取ったり、体感したりはできていない・・・と思う。しかし、どういう加減か、歌舞伎で観た時よりも美しい物語だと感じた。(歌舞伎で観たのは一回きりだから、これも大層なことは言えないのだけど)

 私は心中ものがどうも苦手で、五年前に歌舞伎で観たときはこんな感想を書いてる。
実社会での失敗や不運や自分自身のダメさが高じていくのにしたがって、ずぶずぶとより深く恋情に絡めとられていく恋人たちを見ていると、何だか引くというか冷えるというか・・・

 それが、このたびは、恋にしか生き場所を見つけられなくなった二人の最期の姿は、神話的といってもいいほど美しいなと思えてしまったのだ。お芝居で観るよりも文学として読んだ方が抽象的に捉えられるのかもしれない。文楽で観るとまた印象がかわるのかも。
 

『女殺油地獄』 桜庭一樹訳

 あらためて、凄まじいお話しだなぁ〜と思う。からみあう人の情の濃密さ、与兵衛の内の深い闇。そして、これは桜庭一樹さんが訳出することで現れてきたものなのか・・・遊女小菊の闇も深い。

 そして、これも訳者のアイデアによるものなのか・・・与兵衛の特徴的な歩き方。これ一つで与兵衛という男のあやうさ、行く先の不吉さがうっすら昏くゆらめくように立ち昇る。
 
色友達を左右に従え。いかにもよくいる遊び人の風情だが、まるで油でつるつる滑る床を歩くような、一度見たら忘れられないおかしな歩き方でもって近づいてくる。

 人で賑わう明るい土手を、仲間と騒ぎながらやってくる与兵衛の『ゆぅらりゆらり、つるつるつる』としたおかしな歩き方。なんだか、ぞっとした。


『菅原伝授手習鑑』 三浦しをん訳

 三浦しをんさんの訳。古文を直訳したような四角い言葉づかいと、場面によっては大きくくだけるセリフや言い回しがガチャついて見えるとこがある。お芝居で見ると、場面によってまったく色合いが違ったりもするので(私には加茂堤と車引の桜丸が同一人物だってのがどうもすんなり飲み込めない)、そういうとこ意識した訳なのかしらん、と思ったりする。

 通して読んで改めて思うんだけど、場面によって物語の色合いも登場人物のキャラも随分変わる、こんな振り幅の大きなお話しを、よくぞまぁ、一つのストーリーにまとめ上げたよなぁ(まとまってるのか?) かなり強引な力業だよなぁ。

 時平の悪逆ぶりも、道真公の堅い人柄も、三兄弟のファンタスティックさも、斎世親王と刈屋姫の恋する若者っぷりも、「せまじきものは宮仕え」の悲劇も、「最後は怨霊登場かいっ」ていう展開も、何かもうすべてが極端なんだけど、中でも何が凄いって、それまでずっと謹厳実直、志操堅固な姿を見せてきた道真公が怒り心頭、怨念凄まじく雷神に変ずる場面のブッ飛よう。極端だよなぁ。・・・ちょっとひく。

 ああ、それから・・・今さら知った、言われてみれば納得の事実。松王丸、梅王丸、桜丸は姿形がまったく同じな三つ子であること。一卵性だもんなぁ・・・姿はそっくりだよねぇ。歌舞伎の舞台だと桜丸は三人の中ではしなやかで優しげな姿をしているので、そういうもんだと思ってた。そうかぁ、桜丸も梅王や松王みたいに筋肉隆々のゴツい男か。



長くなるので続きは後日・・・





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2018年07月27日

きみに贈る本

『きみに贈る本』

 ここ数年でとみに感じるようになったんだけど、面白い本を探して読むための気力、体力の衰えがひどい。何より、当たりを引き当てる勘がすっかり鈍っている。と、いうわけで一旦、人のオススメに頼ってみようと思って。

 中村文則、佐川光晴、山崎ナオコーラ、窪三澄、朝井リョウ、円城塔。6人の作家がそれぞれ10冊の本を紹介。1作品あたり38文字×30行ほどの短い紹介文に、ご自身の人生の中に何らかの跡を残している作品への想いが凝縮されて、とりあげられたそれぞれの作品がキラキラと光って見える。

 紹介者の言葉や感想にひきずられないように、気になったものはとりあえずタイトルだけ控えておいて、ここに書かれていることを忘れて、このキラキラが薄れてきたころに読んでみようと思う。

 作品へのアプローチの仕方、読むときの視点をどこに置くかという側面から10作品を選んだ円城塔氏。電子書籍で読む『陰翳礼讃』。谷崎がそれを見たら・・・という一文、なるほど。





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2018年02月26日

小川洋子の陶酔短篇箱 : 小川洋子編著

『小川洋子の陶酔短篇箱』 小川洋子編著

 人にはその人にしか見えぬそれぞれの世界がある。

 世界とは、

 ノートに書いたばかりの文字が吸取紙に吸い取られる瞬間の形態を想像し、石油を喰うという微生物の名『プシュウドモナス・デスモリチカ』を呪文のように唱えつつ「俺は早く土星に行かなくちゃ」と思う青年の頭の中であったり(「牧神の春」中井英夫)、

 『ひとつひとつはただ意味なく狂奔しているように見えるけれど、誰がなんでそんなことをするのか知らないが、どこかで牛耳っているものがあって、それで全体が一糸乱れず狂奔している』ような電車たちの世界に魅入られた生活であったり(「雀」色川武大)、

 友人から贈られた一匹の真っ白な鯉であったり(「鯉」井伏鱒二)、

 あるいは一人の女がたいてい午前零時をまわったころに帰ってくる夫”を待ち続けるマンションの一室(「流山寺」小池真理子)だったり。

 世界の箱庭のような作品たちを小川洋子氏がまた丹念に箱詰めしたアンソロジー。それぞれの世界に感応し滲みだした小川氏の世界がエッセイとして作品ごとに添えられている。




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2018年02月14日

我等、同じ船に乗り 心に残る物語―日本文学秀作選 : 桐野夏生編

『我等、同じ船に乗り 心に残る物語―日本文学秀作選』 桐野夏生編

 アンソロジーを読む場合は、自分の好みに合うテーマに沿って編まれたものや、好きな作家が編んだものを選ぶことがほとんどなのだけど、作品を読んだことのない桐野夏生氏の編んだものを今回手に取ったのは、どこか共犯関係を感じさせるタイトル〜『我等、同じ船に乗り』〜が気になったから。

 アンソロジーを読む楽しみは、これまで触れる機会のなかった、そしてこれからもなかなか手に取ることはないかも知れない作品や作家に出会うことだったり、自分とは異なる編者の視点を知ることだったりしたのだが、本アンソロジーの収穫は、他の収録作品を交えて読むことで、これまで何度も読んできた作品の今まで感じたことのない味わいを知ったことであった。

 乱歩の「芋虫」・・・これまで何回も読んだ作品ではあるが、須永中尉が柱に刻んだ「ユルス」という文字がこれまでになく哀しく、美しく見えたのは、前後に配された作品〜島尾敏雄の「孤島夢」、島尾ミホの「その夜」、林芙美子の「骨」、坂口安吾の「戦争と一人の女」など戦争の中の人の生を描いた小説〜があったからであろう。

 その他・・・ 

 編者が「忠直卿行状記」の本歌取りのような作品と紹介した太宰治の「水仙」。滑稽味を漂わせながらもグルグルと渦巻く感情を描きつくす太宰治の凄まじさったらない。どうしても血まみれの(もしくは紫色に腫れ上がった)笑顔を連想してしまう。

 それぞれの思惑と計略を秘めて認められる夫婦の日記〜谷崎潤一郎「鍵」。私にとってはさして興味も関心もなく、むしろ退屈に感じられる家族の粘っこい駆け引きが執拗につづられていて・・・辟易した。

【収録作品】
島尾敏雄「孤島夢」
島尾ミホ「その夜」
松本清張「菊枕」
林芙美子「骨」
江戸川乱歩「芋虫」
菊地寛「忠直卿行状記」
太宰治「水仙」
澁澤龍彦「ねむり姫」
坂口安吾「戦争と一人の女」「続戦争と一人の女」
谷崎潤一郎「鍵」 




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2017年09月08日

謎の物語 : 紀田順一郎編

『謎の物語』 紀田順一郎編

 結末が語られる前にプツリと断ち切られる物語。何故? 何が? 不条理、不可思議、不可解・・・様々な謎を含んだ物語。

 物語の中で起こるべき「もっとも怖ろしい出来事」「想像を絶する災難」、「断ち切られた物語の結末」「謎の答え」をそれぞれの読者の心の中に求めるスタイルの物語群。しっかりとその効果を計算して書かれたと思しき緊迫感溢れるものから、作者が自らの着想に振り回されたまま放り出したような印象の作品まで、色んなタイプの物語が並ぶ。海外作品については翻訳文体にも味があって、その部分でも楽しめる。

 収録作の中では、木々高太郎「新月」の古風とモダンの混ざりあった香りの高さと、ザワザワするような余韻が印象に残る。稲垣足穂の「チョコレット」は「謎の物語」というのとは趣が違うが、ユーモラスかつ硬質な幻想世界が心地良い。

【収録作品】
「女か虎か」 F.R.ストックトン
「謎のカード」 C.モフェット
「穴のあいた記憶」 B.ペロウン
「なにかが起こった」 D.ブッツァーティ
「茶わんのなか」 小泉八雲
「ヒギンボタム氏の災難」 N.ホーソーン
「新月」 木々高太郎
「青頭巾」 上田秋成
「なぞ」 W.デ・ラ・メア
「チョコレット」 稲垣足穂
「おもちゃ」 H.ジェイコブズ



文庫版は収録作品にかなりの変更があるようです。




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2016年11月05日

人生は賢書に学べ  読み切り 世界文学 : 著・山本史郎 イラスト・大竹守

『人生は賢書に学べ  読み切り 世界文学』 著:山本史郎 イラスト:大竹守

 この本を読むべきか否か、かなり迷ったのだ。世界の名作をあらすじで読んでしまっていいものか? だから、手に取って読み始めた後もずっと言い訳を考えていた。

 なにごともやらないよりは、やった方が得るものがある(多分)・・・よね?
 
 そもそも私は、外国文学なんて小さい時分にお子様向け世界名作全集的なものを読んで以来ほとんど読んでこなかったんだから、たとえあらすじだけでも読んでおくにこしたことはない・・・と思う。

 ゆるぎない世界的名作といっても、若いうちに読んでこそ大きく響くものがある作品ってのはあるはず。今さら読んでも遅そうな作品をあらすじだけ読んですましちゃうってのもいいんじゃない? 残りの人生で読める本の冊数なんて限られてるんだしさぁ・・・。

  ・・・とか何とか。

 実際、あらすじだけで何かをキャッチするためにはかなりの想像力が必要なわけで、「グレート・ギャッツビー」なんかは、あらすじを読んだだけではいったいなにが何なんだか、どのあたりがいいとこなんだかちんぷんかんぷん。「異邦人」や「百年の孤独」や「戦争と平和」のように、あらすじを読むだけでそれぞれに、すべてに倦んだような気分や、なんだか過剰に溢れ出るもの、大河ドラマのようなスケールの大きさと重層的なストーリーの厚みを感じさせるものもあったけど。 

 「若きウェルテルの悩み」「白鯨」「ライ麦畑でつかまえて」「百年の孤独」「戦争と平和」「ホビット」「神曲」「レ・ミゼラブル」他、18篇を収録。「読んだ方がいいんだろうな。」と思った作品はいくつかあった。でも、実際に読めるかどうかは・・・わからない。




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2015年02月27日

スランドゥイル愛が止まりませんっ!

 スランドゥイル王のことが好きすぎてこんなもの↓買ってしまいました。



 結構な大判だし値段も張るし、収納場所もお小遣いも乏しい私にとっては悩ましい買い物だったのですが、映画上映の終わった今、DVDを入手するまでの間(プレーヤー持ってないのにDVD買う気満々)何か王を思うよすがが欲しかったので・・・。

 で、届いた画集にはお値段以上の価値がありました。実際に映像に使われたものだけでなく、映像には映らない部分のディティール、世界観を構築していく過程を設定画、スケッチやイラストで見ることができ、そこに注がれた愛情、熱意、おしみなく出されたアイデアに感動します。

 何よりうれしかったのは、デザイナーたちによるスランドゥイル王の妄想戦闘シーンのイラストが収録されていること。映像化はされなかったほど超人的な戦いぶりが素敵すぎる。添えられるデザイナーたちの言葉も熱い。
 映画にはレゴラスとタウリエルの参戦に加え、戦闘に備えて甲冑に身を固めたスランドゥイルが登場し、観客は怒りと凶暴さをまとい、輝くような真のエルフ王の姿を目にすることができます。

 ピーターから、スランドゥイルの戦闘シーンを大渦巻きのように見せたいというリクエストがありました。彼を「死の渦巻き」に見立てようというわけです。そこで彼の周りに舞い散る雪を動かして、戦いながら突き進む彼の剣が閃光を放ちながら雪と血の渦を巻く様子を描きました。

 こうした(スランドゥイルの戦闘シーンの)アイデアは現れては消えていきましたが、心の目ではこれらが上映されているところを見ることができました。



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2014年12月17日

エドワード・ゴーリーが愛する12の怪談−憑かれた鏡 : エドワード・ゴーリー編

『エドワード・ゴーリーが愛する12の怪談−憑かれた鏡 』 エドワード・ゴーリー編

 ブログへのコメントで紹介して頂いた一冊。どんより曇った冬の日に読む怪談も乙なもの。

 禍々しいものが棲みつく曰くつきの家、呪いやまじない、つきまとう亡霊、不吉な夢、謎の影、恐ろしい言い伝え。どれもクラシックな味わいのある12の怪談。各作品の扉をエドワード・ゴーリーの挿絵が飾り、白と黒で描かれたの深い陰影に、じくじくと暗鬱な気分、不吉な予感がしみだしてくる。

 因縁や真相めいたものを語ることなくポンと放り出された怪異に震える。雨模様の湿って陰鬱な町の様子、森や岩場に蟠る闇、郊外の丈高い草が生い茂る丘や林の木々をざわめかせる風・・・描かれる風景の不穏さにも気分がざわめきます。

 しかし、超常的な怪異そのものよりも、怪異に関わる人たちの異様さの方が恐い。自分から嬉々として幽霊屋敷に乗り込んでおきながら、振り切れた怖がりっぷりを見せる「空家」のジュリア叔母とか、「信号手」の男の沈みっぷり、「判事の家」に棲む判事の度外れた邪悪さ、「古代文字の秘法」カーズウェル氏の逆恨み具合と恐るべき偏執ぶりとか・・・。






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2014年11月24日

忘れられない一冊 : 週刊朝日編集部・編

『忘れられない一冊』 週刊朝日編集部・編

 三浦しをんさんが異彩を放っている!

 主に文筆を生業とする著名人たちの「忘れられない一冊」。多くの人が人生の節目節目で出会った本や、忘れがたいシチュエーションで読んだ本、大切な人や時間の記憶と分かちがたく結びついている一冊を挙げている中で、しをんさんが披露するのは「ウン○を食べる話」の話である。

 小学生の頃に読んで感銘を受けた(感銘を受けたのか?!)、平安貴族の男が恋しい女のウン○を食べる話について、「あれは何と言う作品だったか?」と首をひねるしをんさん。しんみりと感動的なエピソードが並ぶ中に「ウン○を食べる話」の話とは! 一瞬言葉を失ってしまう。

 しをんさんほどの読み手ともなれば、「忘れられない一冊」なんてたくさんあるだろうに、よりによって、よりによって・・・(笑)。でも・・・ここにしをんさんの「ウン○を食べる話」が収録されていることを思うと、じんわりとお腹の中から力がわいてくるような気がするのだ。

 人生なんて何もそんな深刻なばかりのモンじゃない。「ウン○を食べる話」のことが気になって仕方がない、昔読んだ「ウン○を食べる話」についてあれは何であったか・・・”と時折思い出しては考えている、そんな一時もある。人生ってそんなもんだよって・・・。


 それから・・・「夢の中で手に入れた本」について、まるでそれが実在するかのようにありありと語ってみせた吉田篤弘氏の「思わぬ収穫−夢の中の古本屋で」も、奇妙で面白い話であった。




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2012年05月09日

まさかジープで来るとは : せきしろ・又吉直樹

『まさかジープで来るとは』 せきしろ・又吉直樹

まさかジープで来るとは

 まずはシンプルな驚き。次いで、思わず漏らす失笑と同時にこみ上げる嘲りとも、憧れとも、尊敬とも、畏れともつかないこんがらがった感情。「ジープ」がブシュッとあけた風穴を抜けて、引き出された色んな想いが広がっていく。人は「花」や「月」にだけでなく「ジープ」にまで、様々に物想うようになったんだなぁ。

 じわりと内省的な共感を呼ぶ言葉が多い中で、タイトルにもなっているこの句は、ジープという車両の底抜けのワイルドさのせいか、何か、パカンと“開いた”感じがする。

 ここに収められている言葉たちが、自由律俳句なのか、それともリズムにのった自虐的なあるある、もしくはシュールな一言ネタなのか、それはよくわからないけれど、「ネタ」か、「詩」「句」かを分けるのは、この“開いた”感覚なんじゃないかと思う。

 言葉によって呼び起こされるものが内向きな共感に留まらず、喜びにせよ、悲しみにせよ、怒りにせよ、羞恥にせよ、恐怖にせよ、驚きにせよ、そこに“開かれた”何かが感じられた時、感動を覚える。



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2011年06月22日

実は平家が好き。−目からウロコの「源平」、その真実

『実は平家が好き。−目からウロコの「源平」、その真実』

 『平家物語』を普通に読むと、清盛はじめ平家の人たちって、まぁ多少の奢りはあったにせよ、そんなに悪人とは思えないのよねぇ。色んな政治の局面ではなかなか大人な対応もしているし。それにひきかえ源氏の武将たちは、卑怯で残忍で野蛮なケダモノのよう。特に義経なんて、手柄に汚く、卑怯な手を使うのが得意で、正々堂々と戦うなんてはじめからアタマに無い。自分の思い通りにならないとすぐキレて、部下とマジ喧嘩。とても大将の器とは思えない実に残念な男。

 源氏方に悪評がたちこそすれ、平家が悪人に貶められるような内容ではなかったと思うんだけどなぁ〜『平家物語』って。奢り昂ぶった極悪非道の悪人。貴族かぶれして猛々しさを失った情けない武士。そういうイメージってどこから出てきたんだろう。

 そういう悪評にさらされる平家の人々を弁護する。国際感覚に長け、合理的な精神と卓越した政治的センスと行動力を持った清盛の実績を再評価し、重盛、知盛、教経、敦盛、忠度、経正、惟盛ら魅力的な平家の男たちの死に様、生き様を見ることで、華麗なる一族・平家の姿を浮き上がらせる。

 内容は歴史雑学的な軽いものだけど、『平家物語』の名シーンを反芻しながら読むとちょっと感動。本文中に写真がのってた、壇ノ浦のシーンを再現した教経人形(高松平家物語歴史館蔵)がえらく格好良いので、機会があったら見てみたいな。



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2011年04月02日

チーズと塩と豆と : 角田光代・井上荒野・森絵都・江國香織

『チーズと塩と豆と』 角田光代・井上荒野・森絵都・江國香織

 NHK・BSの紀行番組と連動したアンソロジーだということは、読む前にちらっと目にしていたのだけど、それにしても、収録された4篇のうち3つまでもがとても似かよったトーンの作品になっているのはどういう訳だろう。

 スペイン・イタリア・フランス・ポルトガルの田舎を舞台に、その地に根付いて暮らす人々、土地の風土とそこにしみ込んだ「食」を描いた4つの短篇。

 何かを考え始める前から周囲にあり、その中で育ち、口にしてきたもの。身体と心の根幹を養ってくれた食べ物。深く刻み込まれた生まれ故郷の刻印。

 私もまた、広島の郊外で生まれ育ち、東京に出てやっと息をついたような開放感を味わい、九州で暮らしてその風土の違いを実感し・・・自分の中に、数年前まで意識することのなかった「お好み焼き愛」が芽生えているのに気付いて驚いたりしている。

 しかし、まだ故郷の町の窮屈さや、田舎の頑迷さを恐れる気持ちの方が強い私は、作中の主人公たちが、強い強い何かにひかれるように都会から生まれ育った田舎に戻っていく姿には、かすかな失望と反発を感じる。

 私が共感を覚えるのは、「アレンテージョ」の中のこんな言葉の方だった。
 僕は思うのだけれど、おなじものを見るというのは大事なことだ。べつべつの思考がべつべつの肉体に閉じ込められている二人のべつべつな人間が、それでもおなじ時に同じ場所にいて、おなじものものを見るということは。

 僕は思うのだけれど、おなじものをたべるというのは意味のあることだ。どんなに身体を重ねても別の人格であることは変えられない二人の人間が、日々、それでもおなじものを身体に収めるということは。

(「アレンテージョ」江國香織)
 



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2011年01月26日

女は変身する (ナイトメア叢書 6)

『女は変身する』 (ナイトメア叢書 6)

 女→異類・異類→女への変身、異性装、整形、少女から大人への成長、娘から妻そして母へ、あるいは王妃・女帝など権力者への社会的枠組みの中での立場の変化による変身、変身によって一時的に特殊な能力を身につけ戦う少女。「女の変身」〜その背景、現象、意味、「変身」がもたらすものについて、物語や小説、映画、シェイクスピア劇、歌舞伎、宝塚歌劇、マンガ、アニメを素材に、様々な論考が寄せられている。

 「女の変身」という主題をどのように設定するかという部分に、書き手の興味の在り処や、視点の違いによる幅があり、本書に関して言えば、「女の変身」そのものよりも、「女の変身」に見出される論点の多様性の方が興味深い。


 この「変身」に関するさまざまな言葉を読んでいて、唐突ではあるんだけど、渡辺保氏による六代目歌右衛門論『女形の運命』のことを思い出した。数年前に読んだ時には、内容を理解するための手掛かりに指をひっかけることすらできない感じで、よくわからないままに私の中で保留されているのだけど、もしかしてこれも「変身」ということをとっかかりに読んでみることはできないか。もう一度じっくり読み直してみようと思う。

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2011年01月09日

シティ・マラソンズ : 三浦しをん・あさのあつこ・近藤史恵

『シティ・マラソンズ』 三浦しをん・あさのあつこ・近藤史恵

 ニューヨーク、東京、パリ・・・沢山の人々が暮らす街。大都会の風景の中を、それぞれに“走る”人。

 スポーツ用品メーカーのWEBサイトに掲載された作品ということで、事前にそういうオーダーがあったものか、三作品とも、競技生活に見切りをつけ新たな生活をはじめたものの、何か消化・昇華しきれない思いと喪失感を抱えるかつてのアスリートが、“走る”という行為に改めて触れることで、これまで見えなかった世界を感じ、驚き、新たな息吹を吹き込まれる〜という判で押したような展開で、驚きには少々欠ける。

 しかし、“走る”肉体を、“走る”ことを介して生まれる人と人の繋がりを、シンプルに、純粋に“美しい”と感じさせてくれる点ではさすがなのだ。特に、(「風が強く吹いている」のイメージがまだ強く残っているからかもしれないが)三浦しをんの書く“走り”はのびやかで、美しく、感動的だ。

 ・・・とか何とか・・・“走る”どころか、電車のホームの階段を駆けあがっただけで、その日一日具合が悪くなってしまうような私がこんなことを言うのは、我ながら嘘臭いというか、白々しいというか、薄っぺらいというか・・・何とも後ろめたい気もする。

 でも、だからこそ私にとって、“走る”ことを愛し、“走る”ことが幸福とつながっている人類の存在というのは、畏敬の念を抱いて見上げる不可知の領域のお話で、夢と驚きと祈りと祝福と、それをすべて包み込む美しさに満ちているのだ。



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2010年10月04日

小川洋子の偏愛短篇箱 : 小川洋子編

『小川洋子の偏愛短篇箱』 小川洋子編

 小川洋子氏の小説・・・何か得体の知れない気味悪いものとして遠ざけたいという気持ちがありながらも、つい目がひきよせられてしまうのは、その小説世界のアンバランスさが気にかかってしかたがないから。

 その小川洋子氏が、偏愛するものたちを収めた箱から取り出し、編んだ、アンバランスな空気と鉱物のような絶対性を持つ短篇のアンソロジー。内田百けん、江戸川乱歩、金井美恵子、牧野新一、川端康成、横光利一、森茉莉、宮本輝、田辺聖子、吉田知子、他・・・十六篇。


 日常の整然とした世界に隣接していながらも、全く独立して存在している、ひんやりと、ひっそりと、静かに何かが狂っているような世界。その短篇の中の住人らの目は、騒々しく、生命力に満ちた世界の人たちが見ているもの 〜安全で、穏当で、整然としたもの〜 それらの何処をも見ていない。ただ自分に見えるものを真っ直ぐにひっそりと見詰める目。

 収められたそれぞれの短篇の最後の1行を読み終え、乗り物酔いのような吐き気とふらふらと眩暈のする頭を上げる。元の、健全で安全な世界の平衡感覚を取り戻したくて、それぞれの作品に添えられた小川氏の解説エッセイにすがりつくが、その小川氏の視線の向かう先に目をやって、またとんでもなくうろたえさせられてしまう。

 乱歩の「押絵と旅する男」に添えられた解説エッセイ「押絵と機関車トーマス」で語られること〜
 もしかするとトーマスがテレビ画面に押し付けられたのも、不運な手違いからだったのではないだろうか。本当はこの世界で、元気よく煙を吐き出しながら客車を引っ張りたかったのに、気付いた時にははぜか、テレビ画面の中を走っていた。

 こんな言葉が、読後感をさらに不安で怪しいものにする。



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2010年03月12日

怪異学の技法 : 東アジア恠異学会

『怪異学の技法』 東アジア恠異学会

 京極夏彦氏が執筆者として名を連ねておられる・・・という興味で読んでみたのだが、ん〜 「怪異学」・・・未だ混沌としているというか、海のものとも山のものともわからないというか・・・。

 「怪異」というものをどう定義するのか、「怪異」という言葉をどのように使うのかというところから始めなくてはいけない状況の中で、ここに収められた論考は、領域すらはっきりしない「怪異」というものに記された小さな点のようなもので、今後それらがどのように繋がり広がっていくのかを楽しみに待つべきなのだろう。

 「怪」「怨」「祀」「象」「性」「顕」というキーワードに沿って17の論考が収められているが、内容によっては、学問的領域のものなのか、それとも通俗的な興味の範疇に飲み込まれかねないものなのか、“んんんん〜〜〜〜〜”と思ってしまうところもある。

 その中で、怪物や化け物の絵ではなく、熊野曼荼羅に描かれる“太鼓を持つ執金剛”という尊格の図像としての異形を「怪」として考察した梅沢恵「熊野曼荼羅に顕れた雷電神」や、腹の中にあってまだそのありようが分からず限りなく「怪」に近いものとして把握されていた胎児観の変遷について論じた米津江里「近世書物にみる胎児観」は「怪異」というものの多様な切り口を感じさせて面白いなぁと思う。 



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2009年06月01日

見えない世界の覗き方−文化としての怪異

「見えない世界の覗き方―文化としての怪異」 佛教大学文学部編

 2003年佛教大学文学部主催で行われたシンポジウム「見えない世界の覗き方−文化としての怪異」を元に編集されたもの。

 執筆者の中に京極夏彦氏の名前があったので、エンターテイメント寄りな話を期待していたんだけども、内容はタイトル通り「見えない世界の『覗き方』」・・・人間が文化として持つ「怪異」〜目には見えない世界を覗く=研究するための手法や、その為に必要だと思われる技術的な問題などについて、民俗学、人類学、宗教学、文学の各方面から色々な示唆がなされている。

 「異界体験」ということのとらえ方についての話が興味深い。「異界」「怪異」は必ずしも日常の外側にあるものではない。私たちが「ありのままの現実」だと思っているものでさえ、本当は雑多な音や色からなる混沌に或るフィルターをかけて便宜上の形を与えたものに過ぎない。「混沌」に規則性を与え「日常」に変えるフィルターの役割をするのが、人の持つ文化や言語であり、混沌に被せるフィルターがちょっと変化、変質しただけで、「異界」や「怪異」は思わぬところに出現する。

 「怪異」研究のためだけでなく、文芸作品を楽しむ上でも刺激となることが様々に書かれていたが、私にとって、この本を読んでの一番の収穫は、京極夏彦氏の作品はある種の「呪い」であるということがとても良く納得できたことだなぁ。



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2007年11月04日

怪しの世界 : 橋本治・夢枕獏・いとうせいこう 他

「怪しの世界」 橋本治・夢枕獏・いとうせいこう 他

 平成12年8月に国立劇場で行われた公演「新しい伝統芸能−怪しの世界」の台本を収録。

 薩摩琵琶  白鷺譚 上之巻「天守夫人」 下之巻「白峯」
  友吉鶴心 他/橋本治 作

 講談  ものいふ髑髏
  宝井馬琴/夢枕獏 作

 狂言  鏡冠者
  野村萬斎 他/いとうせいこう 作

 
 伝統芸能において「新作」を試みることの意味、価値、面白さとは? 明快な答えの見つかりにくい、なかなか結果の出にくい、簡単には報われないことなのかもしれない。その「伝統芸能の新作」に、薩摩琵琶、講談、狂言の芸能者と、現代の人気作家が挑んだ。
  
 各台本の後には、それぞれの演者と作者による対談も収録されている。対談での言葉から察するに(というより、対談の言葉から察するまでもなく)、新作を手がけた作家は伝統芸能に対する愛も敬意も見識も十分にお持ちの、しかもとびぬけてクレバーな方々なのだ。そういう方々が書かれる「新作」なら、無用な懸念も猜疑心も持つことなく、全幅の信頼をもって身を委ねることができる気がする。

 演者と作者の対談部分では、それぞれが伝統芸能に関して持っている考えや想いやノウハウを確認しあうようなやり取りが見えて(その先に、次のステップへとつながっている道もうっすら見えるような気がする)、その刺激的な会話にワクワクするような興奮を覚えると同時に、この公演でのそれぞれの幸せな出会い(と言えるんじゃないかな)に、清々しい余韻を感じることができる。

 
 巻頭には、橋本治氏による伝統芸能考「あるいは『風』について」が付されている。

 見る者・聴く者にとって伝統芸能とは、鑑賞し理解するものではなく、自然の中にあるときのように、一体化し、感じるもの。花や月を眺めるように、風を感じるように。

 そして、芸能者は月であり、花であり、風でなければいけない。自ら表現するものではなく、そこに在ることによって、見る者の中にある感情・感覚を呼び起こすものであること・・・それが芸能者の役目。このくだりは、いとうせいこう氏が「歌舞伎美人」のインタビューでも話しておられる「卑しくない表現」ということにも関わってくるのかな、と思う。

 短くて平易な文章で、日本人の身体感覚、感情の流れというものに沿って伝統芸能の見方を示してくれる橋本氏のこの伝統芸能考・・・ついつい、がさつな日常生活の中で忘れている自分の身体感覚をとりもどすためにも、折に触れて読み返したい文章だ。



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2006年08月29日

恋物語

「恋物語」 川上弘美、赤江瀑、連城三紀彦、乃南アサ他

 12人の作家による掌編・・・「恋」をテーマにしたアンソロジーです。

 こうしてずらりと違う作家の作品を並べて読むと、それぞれの作家のもつ雰囲気、リズム、言葉の違いが味わえて良いですね〜。こういうアンソロジーだと単行本買ってまでは読まない作家の作品も読めるし。

 赤江瀑氏の未読作品も収録されているので、楽しみに読んだ。割とふんわりとした余韻を含む作品が多い中で赤江氏の3編「火」「空」「風」はやはりどろりと重い。皆川博子氏もこの中では異彩を放ってるかな・・・。

 読む時期やその時々に気分で、どの作品が心に触れるか変わってくるのだろう。乃南アサ氏の作品はちょっと現実にひきよせて感じてしまったり、辻井喬氏の作品は“そんなもんかしらねぇ・・・”と軽く反発を感じながら読んだり。

 今の気分で読んで面白かったのは清水義範氏の“あたって砕ける”恋のポカンとした軽さを持った4編。

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2006年04月25日

古書店への憧れ

「本の街 神保町古書店案内」

 初心者というのは恥ずかしいもんです。知らないことがありすぎる。でも聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥。最初の一歩を踏み出さないと何もはじまらな〜い! その高くて厚い壁にたじろぎながらも古本屋巡りの一歩を踏み出そうとしている私です。

 しかし、「古本」と「古書」という言葉が使いわけられていることも知らず。(本書の初心者向け用語解説ページで初めて知った!)、このブログでも無頓着に使ってきたなぁ。

 本書は神保町の古書店を写真入で紹介する手ごろなガイドブックといったところ。各店の専門や特徴をコンパクトにまとめてあります。神保町界隈のカフェのや古書めぐりモデルコースの紹介もあって、神保町デビュー前に読んでおくにはいいかもしれない。

 しかし、この本読んで私は逆に古書店の敷居の高さも感じちゃったなぁ〜。去年何の予備知識も無く神保町の店に飛びこんじゃった蛮勇はちょっと今はふるえそうにない。

 そしてなにより、明確に目的とする本が無い時は古書店めぐりの魅力も半減するかもしれないなぁ・・・と。今は絶対手に入れたい!っていう本が無いからなぁ・・・。(去年神保町に行ったときは「修善寺物語」と赤江瀑の文庫を手に入れるのが目的だった。東京に行ったのは古書店めぐりが目的ではなく、他に所用があったからだけど。) 



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2006年04月08日

いとしさの王国へ

「いとしさの王国へ―文学的少女漫画読本」 角田光代他

 少女の夢、恋、悩み、恐れ、喜び・・・それはみんな少女漫画の中にあった。少女漫画と共に思春期を過ごした作家たちが、自分の血となり肉ともなっているそれらの少女漫画への想いを綴る。

 執筆陣は角田光代、狗飼恭子、三浦しをん、桜井亜美、嶽本野ばら・・・と人気の作家がずらり。’60年代半ばから’80年代前半生まれの方々であるが、やはり最も思い入れのある作品はそれぞれ10代の頃に出会った作品のようで、とり上げる作品にそれぞれの世代が窺えて面白い。

 しかし・・・作家が書く漫画にまつわるエッセイとしては、正直期待したほどには楽しめなかった。何だかね〜好きな漫画からの引用というか、「この漫画ではこんなことが書いてあった」〜ってひたすら思い出して懐かしんでる部分が多くて・・・単に個人的な体験や思い出話を聞かされるだけじゃあまり共感もできないし面白くないでしょ?

 そもそも、私は少女漫画にあまり思い入れがないんだということに今更ながらに気づいてしまった。小学生のときは漫画自体をあまり読まなかったし、中学に入ってからは「ジャンプ」一本やりで・・・。私の少女時代は「北斗の拳」や「ジョジョ」や車田漫画で占められているんだった!

 ただひとつ気になる少女?漫画があるとしたら、高野文子の「おともだち」。高校生の頃だったか、この漫画を読んだ友人達は揃って感銘を受け「すごくいい」と言っていたから、私も「いい!」と言いたかったんだけど、正直なところ私には今ひとつ解らなかったんですよね〜。主人公の可憐な少女が憧れと、少しの痛みを持って見つめる凛々しく、どこか影のある少女。ノスタルジックで美しい漫画だったけど、私の友人達の心をあんなにも鷲掴みにしたのは何だったのか? 今読めば少しは解るかしらん?

 

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2006年03月11日

懐かしい未来

懐かしい未来―甦る明治・大正・昭和の未来小説 長山靖生 編

 明治・大正・昭和の作家らが予感、空想した未来。過去の時代に描かれたはるかな未来・・・その未来が近くなった現在の私たちがその“未来”を読む・・・そしてその“未来”が描かれた過去へと想いを馳せる・・・そこに生まれるという感慨・・・“懐かしい”未来。

 夢の月世界旅行
 いつも世界は滅亡する
 革命的に実現する理想社会
 完全無欠の医学神話
 全知全能のロボット伝説
 幻想は未来を創る
 摩訶不思議な発明

 というテーマ毎に1,2の基調小説を紹介し、時代背景、その他周辺事情の解説が付してあるんだけど、基調小説として紹介されてる作品のなんだかユルい設定、“え、これで終わっちゃうの?”とびっくりするようなあっけないオチ、それに編者による解説というより自分の趣味と雑多な知識をひたすらに並び立てたような文章に、読み始めた時には正直、“こりゃ、トンデモ本の類だったか?”と・・・。

 でも、読み進めるうちにだんだん味が出てきて・・・感情的なゆらぎを持たないはずの科学に対して、その科学を扱うべき人間は様々のゆらぎを持つ。その微妙な関係が時に幻想的に、またセンチメンタリズムに溢れたものに感じられる。

 この本を読まなければずっと触れることもなかっただろう作家の作品を読むことができた。それだけでも収穫!

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2006年01月12日

アート偏愛

 今ひとつだなぁ。

 大槻ケンヂ氏の「怪人明智文代」が読みたかったので何気なく買った、光文社文庫 異形コレクション「アート偏愛(フィリア)」。<美>に取り憑かれ人外境へと踏み込まんとする者ども・・・そういった「アート偏愛」を題材としたホラー・ミステリのアンソロジー。この異形コレクションのシリーズを読むのは初めてなんだけど、どうもぐっとくる作品がないなぁ。

 「アート」をテーマにしていながら、それぞれの作品の登場人物に、芸術に身も心もすべて投げ出さずにはいられないといった止むに止まれなさというものが感じられなくて説得力に欠ける。どうも、奇を衒った・・・という感じが拭えなくて胸が悪くなる。この辺は読み手の趣味の問題もあるだろうけど。

 私の貧弱な読書経験の中の話で申し訳ないが、芸術に取り込まれてしまった人の狂おしさ等は赤江瀑氏の作品などでもっと見事に緊迫感を持って描かれているし、芸術(絵画)の恐ろしさという点では久世光彦氏「怖い絵」を読む方が数倍ゾッとさせられる。



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2005年03月23日

書物の王国 月

「書物の王国 『月』」

うつしよは夢、夜の夢こそまこと・・・とは心から言えなくなってしまった今でも、月光のさす窓辺でもの想いに耽ってみたいと思うこともあります。

・・・でも、早く寝ないと仕事行く時間に目が覚めません。太陽と緑の国にやってきて2年、月の光より日の光の方が圧倒的に身近です。日焼け止めの隙間をついて紫外線がやってきます。

でもでも・・・
月の魔力をひっそり浴びる夜があってもいい。

「尊いあすこの水盤へ乗ってみたならさぞよかろう。」・・・本書オビより。

古今東西の月光派作家による月を題材にした作品31編。

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